External links

目立たなかった二等賞

小学校時代、苦手な授業の筆頭は体育だった。

走るのも遅く腕力もなかったし、一年生のとき身長順に並んで下校する写真が残っているが、56名中、前から4番目だった。

とはいえ前の一人が急性白血病で亡くなったので3番目になった...。

そんなわけで背が急激に伸びた中学生までは体力的に秀でたところがなかった。

 

しかし体操が苦手の子供にも運動会は容赦なくやってくる。

好きでもない運動会だが、小学校低学年の場合は我が子の活躍をみようと親兄弟が場所取りで喧嘩するほど父兄たちが熱心だった。

 

随分と後になって母にいわれた。

「おまえは闘争心がないのかねぇ」

「徒競走でビリなのは別にいいんだよ...それでいいんだ」

「ただ、ニコニコしながら走るのは止めた方がいいよ」

といいながらも母はまんざらでもない表情だった。

 

そんなわけだから小学六年になるまで徒競走で三番に入ることは夢の又夢だった。

親も走ってる僕を探すとき、一番後ろから探す癖がついたという。

それでも六年生になったとき運動会の個人競技ではじめて二等賞になった。

 

それは障害物競走だった。

網をかいくぐり、袋に両足を入れて跳び、平均台を歩き...といった競技だった。

僕は足が遅い分、作戦を練った。

友達たちの競技を見ていると一番の難関は網をくぐることのようだった。

 

どうあがいても網の中に入れば容易には進めないが、僕の作戦はたまたまだろうが当たった。

障害物競走で最初の障害物がその網だった。

八人ほどが「わっ」と網に突進する。

僕は両側の友人たちが網を上に持ち上げ、押し広げようとしているその間をすり抜けた。

 

走るのは遅かったので後半で抜かれたが、それでも二位だった。

初めての入賞だったから家族に自慢したかったし誉めてもらいたかった。

しかし二歳下の弟は学術優秀で知られ、いつも...本当にいつも通信簿はオール5だったから鼓笛隊のトップに立って何というのか、指揮棒を振りながら鼓笛隊全員をリードする指揮者に任命された。

それは全校で男子はただひとりの栄誉だった。

 

僕の障害物競走二等賞は弟の栄光に隠れてまったく目立たなかった。

 

 

・記載の製品名、企業名などはそれぞれ各社の登録商標または商標です。
・記載する情報の正確さならびに安全性について、当サイトは保証いたしません。
・特に明記のない場合の転載はご自由ですが、出所出典および当サイトのURLを明記してください。

© 2003 - 2017 Macテクノロジー研究所