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若旦那、お稽古だよ!

母が若いとき、琴を習っていたとかで僕は小学校低学年から三味線を習わされた。

貧乏所帯の我が家だったが、母が手慰みで弾く大正琴があり、それで古賀政男の曲などを奏でていた。

だから僕が三味線を習ったのは自分の意志ではなく母からのお仕着せだった。

 

三味線そのものは最初子供用のオモチャみたいなやつを使ったが音が悪いとかですぐに大人用の三味線に変えられた。

父がどこからか中古品を手に入れてくれたらしいが、なかなかの逸品だったらしく高校生のときまでその一丁で習うことになる。

 

師匠はアパートの崖下、京浜東北線東十条駅の線路に近いところに住んでいた元芸者という女性だった。

和室の鴨居には若い時代、髷を結って撮った写真が飾られていたが子供心に綺麗な人だったものの、目の前にいるのは粋ではあったが子供にとってはオバサンだった。


















 

僕は音感が良かったようで覚えも早かったらしい。

ただし子供心に師匠らがいう三味線の奥義みたいな話しは本当とは思えなかった。

例えば三味線はその名の通り弦は三本だが、その音合わせには三年かかると聞かされた。

「本調子」「二上がり」「三下がり」といった調弦があるが、僕は10分も練習したら難なく調弦ができるようになった。

ウクレレは四本、ギターは六本だが、三味線はたった三本ではないか。

 

覚え云々より小学生のそれも男の子の弟子は珍しかったらしく師匠には可愛がってもらった。

とある年の新年顔合わせの席には僕も晴れがましく師匠の隣に座らせられたが、大人たちの会話はなにがなんだか分からなかった。

 

稽古は週1回だった。

学校から戻ると相変わらずアパート前の崖に生えている大木らによじ登ったり、野犬と遊ぶ毎日だったが、稽古日の時間になると崖下から「若旦那、お稽古だよ!」と粋な声がかかる。

友達たちもひやかし半分で「おい若旦那、お稽古だってさ」と背中を押す。

僕は「ハア〜イ」と叫んで家に戻り、三味線袋に入った三味線を肩にかついで坂を下っていく。

 

しばし...チントンシャン♪「奴さ〜ん、どちらへ行くぅ。旦那お迎え〜に、さあ〜ても寒いのに〜ともぞろい」

ろくに意味を知らないままの僕の唄声と二挺の三味線の音が電車の通過音にかぶる...。

貧乏家庭の長男がひととき若旦那になる時間だった。

 

 

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