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琴と東京大空襲

僕は戦後の生まれだからリアルな戦争は知らない。

しかし和楽器の "琴" の話になると、まず母を思い出し、次ぎに母から聞いた東京大空襲の話を思い出す。

 

僕は長男だったが、母や父の若いときの話しはほとんど知らない。

聞こうと思ったこともなかったし、母も男の子の僕には言いずらかったのか、父との馴れ初めや女学校時代の思い出などを面と向かって聞いた記憶がほとんどない。

それでも断片的にいくつか印象深い話しを覚えている。

 

母は若いときずっと琴を習っていたという。

だから僕に三味線を習わせたに違いない。

ところで第二次大戦末期、東京も度々空襲を受けたというが、1945年3月10日の空襲が一番凄まじかったという。

この日だけで死者は十万人を越え、東京は焦土と化した。

 

焼夷弾が雨のように降り注ぎはじめたとき、母は気丈にも一番大切にしていた琴をかついで逃げようとした。

しかし途中で火炎に取り巻かれ、側にいた男に「バカヤロウ、命が欲しかったそんなものを置いて逃げろ!」と怒鳴られた。

仕方なく母は石造りの建物の陰に琴を立て掛けて走り出した。

とはいえ女ひとりの身で、どこをどう逃げたら良いのかもわからず、そこにいた見も知らずの男の腰のベルトに掴まり目を瞑った。

 

男は「ねえさん、頼むから手を離してくれないか。これじゃあ走れないぜ」と怒鳴ったが母はその手を離さず、男が逃げるに任せて一緒に走った。

まさしく火炎の中を走った。

途中多々人の焦げる臭いが鼻についたが母は男の腰から手を離さなかった。

 

「運が良かったとしかいえないね」

母はいつも同じことをいっていたが、どこをどう逃げたのかさえ知らなかったし覚えていなかったらしい。

我に返った母はその日のうちに石造りの家の陰に置き去りにした琴を探しにいった。

母の置いた琴は数人の死体とともに燃え尽きていた。

母は思わずその場で両手を合わせたという。

 

 

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