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茶封筒の秘密

僕は子供心に割烹着を身につけた母が好きだった。

そして少ししわがれたその声を今でも現前にいるかのように思い出す...。

夏の暑いある日、その母が僕を呼びつけて言った。

「じゅん、この手紙を○○のおばちゃんに渡してきてくれる?」

無言でうなづく僕に母は「気をつけてね」と送り出した。

外は炎天下だったが、子供心に手紙は早く届けた方がいいだろうと僕は走った。

アブラゼミの鳴き声が響き、道路の照り返しがまぶしかった。

 

○○のおばちゃんちはいつも通う小学校の少し先にあった。

大汗をかきながらオート三輪や自転車が行き交う一本道を私は一生懸命走った。

「おばちゃん!こんにちは、じゅんいちです」と小さな門を入り大きな声を出す。

玄関の戸を開けたおばちゃんもやはり割烹着だった。

思わず「あっ、おかあちゃんと同じだ...」と声が出た。

おばちゃんは笑いながら「おかあさんからの手紙を持ってきたんでしょ」という。

なぜ知っているのか僕には不思議だった。

「はいこれっ!」と手紙を渡すとおばちゃんは「じゅんちゃん、少しここで待っててちょうだいな...。いまお母さんにご返事を書くからね」と奥に入っていった。

 

おばちゃんの家は僕たちが住んでいるアパートと違って庭がある一軒家だった。

太い松の木や私の背丈まであるような石があった。

庭にある大きな葉っぱが照り返す光に目を奪われていたとき、「お待たせしてごめんね」といいながらおばちゃんが玄関に戻ってきた。

おばちゃんは「じゅんちゃん、これお母さんに『ご返事です』といって渡して頂戴」と封がされた茶封筒を僕の手に握らせた。

何だかおばちゃんの返事が入っている封筒は母の手紙より少し厚いように感じた...。

僕は「はいっ、さよなら...」と手を振りながらまた道路に飛び出し再び走り始めた。

郵便局、学校、神社の鳥居そして駄菓子屋が僕の視界から次々に消えていく。

 

アパートに着くとそこには母が「ご苦労様」と少し心配顔で待っていた。

「これおばちゃんがご返事だって...」と茶封筒を渡した。

瞬間母は笑顔になって「ありがとうもういいよ、遊んできな」と僕の背中を押した。

その日の夕食は僕の好きな食べ物が待っていた。

 

月日はあっと言う間に経過し就職した会社のカウンターに山積みされていた薄手の茶封筒を見たとき、僕はそれまで考えもしなかったことが目から鱗が落ちるように理解出来、涙が溢れ出た。

おばちゃんが「これご返事」と渡してくれた茶封筒の中身は間違いなく数枚のお札だったに違いないと...。

僕が持っていった手紙は借金の無心だったのだ。

おばちゃんも僕が手紙と称する封筒を渡したときからその意図を知って対処してくれたに違いない。

思えば黒電話さえも家にはなかった時代である。したがって急を要する場合には直接出向くしかなかったのだ。

そして母自身で頼みに行くことに何らかの躊躇があったのかも知れない。

 

昭和30年代初頭、皆貧しかった。アパートの住人同士でも米や味噌醤油の貸し借りは日常だった。

お互い返す当てもなかったに違いないが、皆が肩を寄せ合い、助け合って生きていた。

しかし少なくとも表向き皆明るかった。

そして努力さえすれば未来は約束されていると思えていた時代だったのである。

 

 

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