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母とカレンダーの想い出

そろそろ来年のカレンダーを意識する季節になったが、カレンダーと聞けば古希が過ぎたこの歳になっても条件反射のように割烹着を着たあの日の母を思い出すのである。

昭和30年代、一家は六畳一間のアパートに家族5人で暮らしていた。いま思えば現在の六畳よりは随分と広かったはずだが、それでも決して余裕のある生活ではない。そして事実当時は父の仕事が定まらず母も随分と苦労をしたらしい。

 

さて、今でこそ私たちはカレンダーというものは自分の気に入ったものを買って使うものだという思いが強いだろうし、パソコンや携帯電話の普及でそもそもが部屋の中にカレンダーを吊さなくなっているものと思われる。

我が家とて同様でまともなカレンダーは愛犬を連れて行く美容室でもらったものがひとつあるくらいだ。

 

しかし当時はクリーニング店、酒屋、八百屋などが「御用聞き」と称して毎日各家庭に立ち寄り注文をとっていた時代だった。

無論コンビニやスーパーマーケットはなく商店街まで買い物に行くしか術がなかった当時の家庭ではそうした御用聞きのお兄さん達に依存していた部分も多かったのである。

「いつもの醤油1本と砂糖一袋お願いします」といった依頼だけで夕方には配達してくれる利便性に御用聞きは生活に密着していた。

そうしたお店の利用者は盆暮れともなるとお店の名入りの手ぬぐいやカレンダー、湯飲み、あるいはお皿といったサービス品の恩恵を受けることになる。

「いつもありがとうございます。また宜しくお願いします」という気持ちである。

物のないそして貧乏な我々にはそうした品物も実用品として使うありがたいものだった。無論カレンダーも買うものではなくどこかの店名とか会社の名前が入ったものを壁に掛けるのが普通だった。

 

ある年の暮れ、日差しが当たっていた円いちゃぶ台の上に母は1枚の画用紙を広げ私に「じゅん、クレヨン貸してちょうだい!」と言った。

父は若い頃から油絵を描いたらしくそれらの道具もあったし事実興が乗るとチラシの裏などに絵を描いてくれたその絵は子供心に上手いと思っていた。しかし音楽好きではあった母がまともな絵を描いたという記憶もなく「何するんだろう」と思いながらも私は自分で使っていた12色のクレヨン一式を母に渡した。

 

私は母の横に座り事の成り行きを眺めていた...。

母は1枚の真っ白な画用紙を縦に置き、真ん中ほどに横線を一本画いて画用紙を2分するとその下部分を小さな枠で埋め始めた。

それは来年1月のカレンダーだった。

母は大変文字が綺麗だったから日付を書き、曜日を入れたカレンダーの日付部分は子供心にもなかなか綺麗に仕上がっていた。

 

次に母は用紙の上半分に海岸らしき砂浜の絵を描き始めた。...といっても簡素な線描写であったが...。

そして大小2匹の蟹を赤いクレヨンで書き入れ、最後に黒のクレヨンに持ち替えて「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」と石川啄木の歌を書き入れた。

無論それが啄木の処女詩集「一握の砂」の冒頭にある歌であることは後で知ったわけだが、母は石川啄木の歌が大好きだったらしい。

 

歌を一気に書き込むと母はそれを声に出して読んだ。何度も...。

歌の意味など知る由もない私だったが、母の声はどこか寂しそうだった。しかしそのときの私は「母も興が乗れば絵を描くんだ」程度にしか思わなかったが後に大企業のサラリーマンとなり、盆暮れに届けられる文字通り大量のカレンダーの山を整理していたときフトあの時の母の姿を思い出し急に涙が溢れてきた。

 

あの日、何故母はカレンダーを自作したのかという理由が電光のように閃き私は倉庫で1人座り込んだ。

カレンダーを自作したのは趣味でも手慰みでもなく何と言うことはない...あの年の我が家には年末に御用聞きらから届けられるカレンダーさえもなかったのだ。

 

当時の我が家はとにかく貧しかったし食べ盛りの3人の子供を食わすだけで両親は大変だったに違いない。

だから必然的に御用聞きのお兄さんたちへの依存も少なくせざるを得なくなったのだろう。

勿論酒屋も八百屋も、ましてやそば屋なども注文のない家庭に盆暮れの付け届けはしない(笑)。

しかし昭和30年代の小さな部屋...それも貧乏暮らしの一家にもカレンダーのひとつくらいは生活に不可欠なアイテムだったに違いない。

あのとき、どんな気持ちで母がカレンダーを自作したかを思うとき、私は今でも涙を禁じ得ないのである。



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