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母の手料理

僕は昭和23年生まれだ。まだまだ戦争の傷跡があちらこちらに残っている時代でもあったが、子供心に夕食のおかずには不満ばかりだった。

今から思えば三食をきちんと食べられるだけで満足しなければならない時代だったが、そんな事情を知る由もない僕は母の作る手料理が正直嫌いだった。無論いくらなんでも正面切ってそうした不満を言ってはならないことは子供心にも分かってはいたが…。

 

後から分かったことだが、母は程度問題はともかく結婚前はお嬢様で料理の経験もほとんどなく、したがって家庭料理のメニューさえ知らなかったようだ。

そんな母が作るおかずで記憶に残っているものといえば、大豆と昆布の煮物、きんぴらゴボウ、ひじきの煮物といったものであり、どう贔屓目に見ても子供が喜ぶメニューではない。

無論ときにはカレーであったり、天ぷらを揚げるときもあり、さらに懐具合によっては近所の精肉店で買うコロッケや鯨のカツがお膳を飾るときもあった。当然コロッケは僕にとって最高にお気に入りの夕食メニューだった。

 

気に入らないのは夕飯だけではなかった。

例えば夏休みの昼飯はソーメンが出たが、ソーメンだけだ。器の中にはソーメン以外は何も加えられていなかった。

それも時にそのソーメンが二日三日と続くことがあった。だから僕は今でもソーメンが大嫌いだ。

 

また兄妹三人で言い合わせたことがある。それは例え例外的に美味しいメニューが出たとしても母に「これ美味しいね」と褒め言葉を言ってはならないということだった。

なぜなら、母は誉められるとそのメニューを続けるからだ…。

 

ある日の夕食、何が原因だったかは忘れたが、僕はおかずが気に入らないと煎餅を囓って夕飯をボイコットしたことがある。

ボイコットしたからといって代わりに美味いものが出てくるわけもないのだが、結局その日の夕飯は抜かされることになった。

 

後年、僕が結婚し女房を連れて実家に行く機会があるとそれまで見た事もない料理がいくつか出てきたのでびっくりしたものだ。

聞けばテレビの料理番組で勉強したのだという。

そして列べられた料理は皆とても美味しかった。

若いときの母は子育てとやりくりが大変で料理の腕を磨く時間も気力も無かったのだ。

 

 

 

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