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プロローグ その2

さて、ともかく小さな組織の中でも日々葛藤や羨望、嫉妬、仕事や報酬への不満などなどといったあれこれが口には出さなくても少しずつ貯まってくるものだ。そしてなによりも代表取締役の立場にあった私からすれば実は大いに儲かっていた時代でさえ悩み事は多かった...。いや、金の問題だけではなく人の問題、人の扱いの問題で私は日々悩んでいた。それにどのような会社でも社員の不満はすべて経営側...社長への不満としてフォーカスされると考えて間違いない。

 

話しは先走るが後年米国MACWORLD Expo視察のため社員共々サンフランシスコに行った際のあるシーンを私はいまでも苦笑をもって思い出すことができる。

当時は余裕のある時代だったから我々役員だけでなく一般社員もビジネスクラスで同行させたしホテルも一流のところを選んだ。

 

馴染みの公認会計士の先生は「就業規則の例外ばかりのような会社だなあ」と苦笑しながらも「役員と社員の待遇は明確に分けた方がいい」とアドバイスをしてくれた。しかし良い待遇は良い仕事に繋がることを期待していた私はそんなアドバイスは気にも留めなかったがいまでは少々甘かったのかも知れない…と考えてもいる(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜなら会社側のそうした意図を社員らがきちんとくみ取っていなければそもそも意味も効果もないのである。当たり前に思われては元も子もないのだ。

ともかく海外のことでもあり催事の前後は時間的にも余裕を持ったスケジュールを組んだし、ある年のExpoではスタッフがワイナリーに立ち寄りたいというのでそれを許したりもした。が、あるExpoでサンフランシスコに出向き、ダウンタウンを皆で歩いているときに背後で言い争っているような声が聞こえた。

 

私は見ない...聞こえない振りをして耳だけ欹てたが、社員の1人が思うような行動を取れないと副社長に文句を言っているところだった。その詳しい内容までは聞き取れなかったが副社長は「しょうがないだろ決めたのは社長なんだから...」というような物言いをしてなだめている...。

 

かなり距離があったから私の耳には届かないと思ったのかも知れないがそういう話しは意外に聞こえるものなのだ。それにしても変ななだめ方だ...(笑)。

どうやら個人的に行きたい場所があったらしいが私の立てたスケジュールでは思うように動けない不満を私にではなく言いやすい?副社長に進言したらしい。私は聴かない振りを続けたが、そもそもMACWORLD Expoは観光旅行ではないし会社の費用で同行するにはそれなりの制約があるのは当然である。しかし海外に出たという気のゆるみからなのか、あるいは地が出たのか、仕事だということを忘れ自分の思い違いに気づかず我が儘が出たらしい。

 

これはひとつの例だが「この種の文句・不満は日常でも多々あるんだろうなあ」と思いながらも少々寂しい思いをしたものである。

一方、会社を解散した数年後、当時の札幌支店に勤務していた社員の結婚式に呼ばれて出席したときのこと、ご両親にお祝いと挨拶を申し上げた際お母さんから「娘はいまでもコーシンの職場が一番好きだったと言っているんですよ」というお話しを伺い社長冥利に尽きるとはこのことだと思わずジーンとしてしまったこともある。

 

そもそもが社長という立場はとても孤独であり辛いものだ。私は規模の大小を問わず企業の代表者として頑張っておられる方々にエールをお送りすると共にご同情申し上げたい。

なぜなら例えばこちらがビジネスという枠を取り払って付き合おうとしても社員からみれば仕事はともかくプライベートにまで上司と付き合いたくないと思うものらしい…。いや、私もサラリーマンを長く務めてきたのだからそれはよくわかる(笑)。

 

無論会社は遊びを楽しむための組織ではない。目的をきちんと遂行し利益を上げ、社員たちの生活を保障し会社を維持し、かつ社会に少しでも貢献できるようにと努力する課程はまさしく真剣勝負である。したがって社長が社員と馴れ合ってばかりいては仕事にならず、時には憎まれ者に徹しなければならないわけだが、社員の中にはそうした理屈が理解できない者もいる。

 

世間一般以上の処遇を受けても当初は感謝するかも知れないが次第にそれが当たり前と思われてくるに違いないし、会社など泡沫の居場所だといわんばかりの社員だっているわけだ。

いや...当時はすべてを胸に...腹に押さえ込んでいたが社長という立場にあった私自身が会社に対して自分の居場所がないような、居心地の悪さを抱えていたともいえる。

 

ただし誤解されては困るが、私の真意は当時の社員や他者の悪口を言い、貶めることが目的ではない。それに繰り返すが会社という組織内で起こるあれこれはどうあがいたところで責任は代表取締役である私自身そして取締役たち経営陣にかかってくるのは紛れもない事実なのだから...。

 

本稿の本意はコーシングラフィックシステムズという超マイクロ企業が文字通り新星のように現れ、お陰様で10年以上もの間多くのユーザーと市場に支持されながらも消えて行かざるを得なかった実際の内幕を...内部の葛藤を...そろそろ知っていただきたいと思ったし、後数年もすれば私自身の記憶も意欲も減退してしまうかも知れないと考えたからだ。

 

スティーブ・ジョブズなら伝記を書きたいと申し出るライターは多いだろうが、私などは自身で書くしかないではないか(爆)。

それに…繰り返すがもしかしたらこの種の話しは今後起業を考える若い方々のなにがしかの参考になるかも知れないし、別途ブログで連載した「NIFTY FMACCGログ公開」と平行し、あのMacintosh黎明期特有な時代の一端を感じていただく良い機会になるかも知れないと思う気持ちもある...。

 

というわけで現時点ではまだまだ全容をそのまま記すことには正直ブレーキがかかっており、途中で頓挫することになるかも知れないものの、取り急ぎはお話ししやすいところまで…進めるところまで...話しを続けてみようと思う。

 

 

サンフランシスコのダウンタウンを歩く筆者(1993年頃)

サンフランシスコのダウンタウンを歩く筆者(1993年頃)

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