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起業前夜〜パソコンを仕事に使い始める

結婚してから10年目となる1987年は私にとって大変忙しくかつ騒がしい年になった。当時私は古書街として知られている東京神田神保町にあった小さな貿易商社でサラリーマンをしていた。入社は1977年のことだったからすでに丸10年目になっていた。

 

入社時は別の小汚く狭いビルの屋根裏部屋のような一室で社長と私だけという漫画みたいな会社だった。幸い当時は景気も良く2, 3年後には神保町のビルに引っ越し、国内メーカーから仕入れた化学原材料などを台湾や韓国向けに輸出する仕事が好調で社員もピーク時には私を含めて5人ほどになった。

 

私の担当は経理部門の総括と資金の出し入れ、銀行との折衝、輸出に必要な書類の作成、認可事務の遂行、乙仲との折衝といわゆる営業以外の仕事すべてを任されていた。

さらに自身で英文タイプライターや通信端末のテレックスなどを扱うと同時に必要なら商工会議所や法務局などにも出向き、取引銀行を回り、帰社してから船会社の営業たちとの折衝や船積みの予約をするなど…といったよく言えば大変充実した毎日を過ごしていた。無論私の直接の上司は社長のAだけであったから他の社員たちへの具体的な指示も私がやらなければならなかった。

 

事実その後に入社したスタッフのほとんどは私自身が面接して採用した人たちでもあった。また金庫のキーを持ち、ナンバーを知っている人間は社長の他は私だけであり(おそらく)、社長個人の実印まで預かるはめになっていたからプレッシャーも大きかった。

しかし現在と同様に輸出を主としたビジネスは為替によるリスクが大きく、ひとたび為替予約の判断を誤ると利益が出るどころか大きな赤字を作ってしまうことが多かったし事実1980年も過ぎた頃になると累積の赤字がかなり膨れあがっていた。それに後半は社員の私から見ても滑稽というか危ない橋を渡るようなビジネスが多くなり、正直「このままで良いのか」と些か嫌気がさしていた…。

 

今だから笑い話として話せるが、ある時のことクリーンルームで使う特殊な掃除用具だという触れ込みで持ち込まれた商品があった。どうやら掃除機の先に取り付けて使うものらしく小売りの売価は3万円だという。

勤務先でもいくつか仕入れて販売したものの私はその品物がそんなに高価な代物だとは思えなかったし以前どこかで見たような記憶があって胸に引っかかっていた。

 

あるとき、1日の仕事を終えいつものように秋葉原に立ち寄ったとき、駅前の実演販売で同じ物が1,800円で販売されているのを発見した…。商品名は「はぼき」と言い、一般の掃除用具だったのである。

というような話しも実際にあったのだ(笑)。結局我々に売り込みにきた人物はかなり妖しい人間だったのである…。

 

さて、いまの若い方々には想像もつかないかも知れないが、貿易会社といってもタイプライターと通信端末のテレックス、随分と後になってコピー機が入ったものの、机の上には電話機とソロバンそして電卓程度しかなかったし、コンピュータを仕事に活用しようなどということは零細企業には想像もつかない時代だった。

 

そのタイプライターも電動式の機種に混じってまだ手動式のものも現役だった。そして決算期だとしても諸計算は電卓よりソロバンの方が早く、総勘定元帳の記帳は当然のことながら原始伝票から手書きするしかなかったのである。

しかし1980年代に入ると私はプライベートでApple IIを初めとして多くのパソコンを手にする機会を得たこともあって、何とかこの種のマシンをビジネスの効率を上げるために使えないものかと考えていた。

1983年、貿易商社勤務時代、事務所でのシーン

そもそも輸出書類などは英文だし日本語が使えないパソコンでも何とかなると考えたが、例えば当時申請のための輸出書類を複数部作成するときタイプライターにカーボン紙を挟み複製したものでなければ受理されず、いわゆるコピー機で複製したものは対象外だったので苦労したものだ。

 

なにしろミスタイプした場合はカーボン紙を挟んで重ねているそれぞれの部位を砂消しゴムで消してから打ち直すわけだが、タイプライターにセットし直せば必ずといってよいほど位置がずれてしまうのだった...。したがって今では当たり前のことだが、パソコンの画面ですべてのページに間違いないかどうかを確認後にドットインパクト・プリンターで印刷することを目指したのである。

 

とはいえ具体的な手法もなかった当時だし、実際に役に立つかどうかは分からなかったから会社の経費でパソコンを購入してもらうわけにもいかない。仕方がないので1981年には自身で購入したカシオ FX-9000Pを会社に持ち込んだり、1983年にはNEC PC-100とプリンタを持ち込み簡単なソフトウェアをBASICで自作して使っていた。しかし今から考えれば時代は着実に私の背中を押し始めていたのである。

 

そういえばなぜ私がコンピュータを使いたいと考えたのか…。それはいわゆるCGというものを体現したいと思ったからだ。ただし当時Macintoshはまだ登場していなかったし、そもそもコンピュータに関してど素人だった私はいつかコンピュータで絵を描きたい…そうした時代が来るに違いないと考えていたこともありパーソナルコンピュータによるCGに大きな期待をかけていたからだった。

 

そんな夢は夢として目前の興味はこのパーソナルコンピュータをビジネスに実利用することはできないものかと考えはじめた時期だった。時は1983年、その翌年の1984年1月にMacintoshが発表される…。

 

 

筆者の左奥にPC-100とプリンターが映っている(1983年)

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