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起業前夜〜おかしな会社とおかしな人たち

1980年代半ばのサラリーマン時代はいま思うと実に変なことだらけであった。以前にも記したが1977年に小さな貿易会社に入社したものの社長と私だけというオモチャみたいな会社だった。それまで東証一部上昇の企業を経験していた私にはすべてが奇妙で不可思議なことばかりだったが生活の糧の場であると自分自身を納得させていた感がある。

 

この種の話しは本来ソフトハウス起業に関係ないことだと思われる人も多いかも知れない。確かに他人にとってはそうかも知れないが、私自身にとっては重大事だったし当時の現状がいかに理不尽な環境であり特に後半は将来性のない勤め先になってしまったかを知っていただきたいと思うのだ…。当事者にとってこうしたあれこれも自分で起業してみようと思わせたひとつの原動力なのである。

 

なにしろ1977年入社して間もないある夏の日の午後、外出から戻り事務所のドアに手をかけたとき内側から勢いよくドアが開き女性が飛び出して行った。どうやら泣きじゃくっていたようだ…。

誰が考えたにしても事務所にいるのは社長だけであり、社長の女性関係のもつれだと思わざるを得ない。無論社長は既婚者であり子供もいると聞いていた。

 

後で知ったことだが、飛び出した女性は私が就職する直前まで事務員として働いていた人だという。どのような縁で知り合ったかは不明ながら男側からすれば浮気であることは間違いない。しかし一介の社員にすぎない、入社したばかりの私としては何事もなかったかのように机の前に座り仕事のノルマをこなすしかなかった。

 

男と女といえば数年後にも奇妙な社員旅行があった。企画したのは無論私ではないのでこれまた社員としては従うだけだ。どこに行ったのかもすでに記憶が薄れているが当時すでに神保町の事務所に移転し、私の他に女性社員もいた時代だった。そしてその直前だったか社長の友人だという中年のHという男性が営業職で入社した。したがって本来なら会社全員としては社長を含め男性3人、女性1人とだったが若い女性が1人で社員旅行に参加するのは嫌だということになり、時々顔を合わせていた彼女の親友を一緒に加えての社員旅行と決まった。

 

しかし当日全員が顔を揃えるとそれまで見た事もない女性がひとり加わっていた(笑)。失礼ながら私には一般のOLとはとても思えなかったがこればかりは一泊旅行の旅であり知らないふりをするわけにもいかない。聞けばHの彼女だという…。これまたHも既婚者でありながら社員旅行をよい口実にして彼女と過ごそうと考えたらしい。なんという奴ら、なんという会社なのかと心の中で憤慨した。

とはいえ今更参加しないというわけにもいかず、何とも白々しい嫌な社員旅行となった(笑)。その後Hはどうしたことか難病に取り付かれて亡くなってしまったが、その日常を知る1人としては申し訳ないものの同情する気にはならなかった。

 

おかしなことは続く…。その神保町の事務所は確かに我々数人だけでは広く余裕があったものの想像もしないことが起こった。

経費節減の意味もあったのだろうが、事務所の半分を起業することになった社長の友人(先輩格の人)の会社に貸すということになった。その社長の存在はこれまでにも多々行き来があったから知ってはいたものの早々に社長を含めて3人が引っ越してきた。勿論私は単なるサラリーマンだしその事をとやかくいういう立場にはないから粛々と事実を受け止めるよう努力したが、実際に私自身のあれこれに関わってくるようなことが持ち上がってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一番大きなこととしてはその会社の経理事務もやれという…。これは私の勤める会社の社長から正式に依頼されたし、当該会社の社長からも「よろしく頼む」ということになった。一時は頭を抱えたが給料はきちんと出すから…ということでまずは出来るところまで努力しようということになった。ここに正式に…というか合法的に2社から給与を貰えることになったが、そのことが個人的にパーソナルコンピュータへの投資を可能にしたのだから世の中面白い。

 

何しろ2社から給料はもとより賞与も貰えた。ただし当時の私には一方の給与分を貯蓄するという考えはまったくなかった。なぜならこの状態は正常なものではなくどこか危なげでいつ破綻してもおかしくないことを直感で感じていたからだ。またそもそもの会社の景気は悪くなる一方、先輩格の会社の景気は上々というアンバランスな状態が続いた。何だか副業の方が本家より賞与額も大きいときもあり、気兼ねをしながら毎日を過ごすことになった。

 

この状態は異常だ。いつなくなっても良いように当てにせず、あぶく銭として使ってしまおう…というのが当時の考えだった。したがって一方からの報酬と書籍の印税、雑誌の原稿料すべてをApple II やMacintoshに投資することにした。後に「Appleに一番金を使った男」と記事に書かれた所以であり、事実有にマンションを買えるほどの額を惜しげもなく使い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ある日、先輩格の社長がヨーロッパーへの出張から戻ったとき「松田!旅費精算を早めにやってくれ」と依頼された。早速受け取った資料を基に旅費精算を終え、明細書と約20万円を越える現金をその社長に渡した。先輩格の社長は「おっ、こんなに戻ってきたか」とご機嫌の様子だったが、次の言葉は我が耳を疑った。

 

「松田…これはお前が旅費精算し戻してくれた金だ。この際皆であみだくじでもして配ってくれ」というのだ(笑)。いや、気っぷがいいといえばそうなのだが長い間サラリーマンをやってきたが、こんな話しは初めてだった(笑)。しかし社長命令だからして一等は10万円、2等は5万円、3等は3万円、4等は…といった具合であみだくじを作り、最後にその社長に数本線を書き加えてもらい公正さをアピールした。

 

しかし当時本家の会社にとってこの20万円強の額は小さな金額では無かった。少しでも経費削減という時期だったが、その一方で一緒のスペースに入っている会社が20万円強の金額をクジでばらまこうというのだから両方に気を遣わなければならない私の立場は実に辛かった。

また悪いことに…というより、こうした時だからこそなのか運命の女神は私の心を弄んだ。なぜならクジを作った当人の私がなんと1等を当ててしまったのだ。正直嬉しい反面、背中に本家社長の視線が刺さっている気持ちがして落ち着かなかった。

 

ともあれ私の違和感は当たってしまった。正確には覚えていないが、約1年半ほどで両社長同士の仲が険悪となり先輩格の人は出て行ったために私の生活も元に戻った。ともあれその頃には書籍の執筆依頼や原稿料収入も多くなり、一介のサラリーマンとしては恵まれた数年を送ることになった。

なお私の勤務していた会社は後述するように不幸な終わり方をしたが、一方先輩格の社長が率いる会社は現在でも神田でビジネスを続けている。

 

 

神田神保町で一つのフロアーに2社共同使用時代の私のポジション

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イケショップが発行していたユーザー向け雑誌「MacTalk」1987年12月15日発行 VOL.3 号表紙

株式会社イケショップが発行していたユーザー向け雑誌「MacTalk」1987年12月15日発行 VOL.3 。「日本一Appleに金を注ぎ込んだ人々」という特集が載っている

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