External links

起業前夜〜Macintoshとのめぐり逢い

そういえば1984年秋口から私にとって得がたい体験が始まった。それは評論家/作家として著名な紀田順一郎さんと交流が始まったことだった。本郷のイーエスディラボラトリー社(ESD社)で当時私が編集を任されていた「アップルマガジン」に紀田先生の原稿を載せさせていただいたのがきっかけだった…。

 

ESD社は当時アップルの日本総代理店であり、Apple製品の総本山であった。現在のようにインターネットや様々なメディアから最新の情報が手に入る時代ではなかったからAppleに関する正確な新製品情報を得るためにはこのESD社が唯一の情報源だった。

私自身も1週間に2度程度、会社の帰りに立ち寄って新しい情報を得ることを常にしていた。当然そこには現在も活躍されている著名な方々の数人も出入りしていたからして自然に仲間としてお互いに認識するようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな1984年の夏が過ぎ10月に入っていたはずだが、いつものようにESD社に新しく登場したMacintoshを見に行った。無論Macintoshは同年1月24日に発表されたが、日本での販売が開始されたのは6月以降だったのではないか…。

それ以前にESD社ではMacintoshの発売に際して内覧会だったかの発表会を実施したが私は都合があって行けなかった。まあ混雑した中で新製品を評価するのも嫌だったし、ほとぼりが冷めてからゆっくりと見させていただき購入するかどうかを検討すればよいと考えていた。

 

それにApple II も最新機種のApple IIeになっていたし、大枚をつぎ込んできたハードウェアやソフトウェアも充実し最先端の音声合成や音声認識、ビデオカメラからの画像を取り込む画像処理や本格的なシンセサイザーなどなどが実現できていた。またハードウェアの知識は勿論、BASICによるプログラミングも面白くなってきたところだった。事実1984年の秋にはアスキーの月刊LOGIN誌が募集した「アダルトソフトウェアコンテスト」のゲーム部門に応募して入選を勝ち得たりしもした。

 

したがって感覚的にはMacintoshというパソコンがよほどのモノでない限り早急に購入する意志は持っていなかった。何しろ当時はインターネットがあったわけでもなくその年の1月に発表されたというMacintoshがどれほどの性能なのかといった魅力が正確に伝わってこなかったからだ。

 

ともあれその日、いつものように会社の帰りにESD社を訪ねた。自分でいうのも烏滸がましいが、上客だったに違いない私に同社は大変親切にしてくれた。なにしろ前年1983年の暮れに同社主催で開催された「第3回Apple Fest 東京」の際には後楽園の展示場に個人ブースを出すように取りはからっても下さった。そこで私は得意のビデオデジタイザーをデモし、お客様の姿をApple IIに取り込むという実演などをやった。

 

またある日の夕刻にESD社のドアを開け「こんばんは」と入っていくと事務所の奥から「あら、松田さん?ちょうど良いところに来られたわ。いまワインを開けたところだからご一緒しませんか」などと誘っていただくこともあった。私にとってESD社のその場所はまさしくサロンでもあったのだ。

 

ともあれ私は机上に置かれていたMacintoshの前に座った。9インチの小さなモニターにはMacPaintが起動していたしMacintoshの特色のひとつであるワンボタンマウスの実物も初めて手にした。ただし私はマウスという代物は初めてではなかった。なぜなら1983年にNEC PC-100を2台購入し、カラー機種を自宅に、モノクロモニターの1台を勤務先の会社に持ち込んで使っていたからだ。そこにはいわゆる初代マイクロソフトマウスが常備されていたためマウスそれ自体に驚くはずではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし目の前のMacintoshは私の思惑を越えた素晴らしいパソコンだった。無論Macintoshの操作もMacPaintを扱うのも初めてだったがサンプルとしてインストールされていたボーダーラインイメージを苦もなくカットアンドペーストし、回転や移動させ、あっと言う間にフレーム枠ができた。同じマウスといっても前記したツーボタンのマウスこれほど操作性に違いあることに驚いた...。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと背後に人の気配がしたので振り向くと社長の手塚さんがいた。「いいでしょう!?」というその問いかけに私は何のてらいもなく「いいですねぇ」と応えた。手塚さんは「今日にも送りましょうか」とたたみかける(笑)。プリンターなどを含んで80万円前後になる代物を簡単に買えるはずもなかったから予算的にすぐには無理だという返事をしたはずだ。

手塚さんは諦めなかった。「頭金を少し入れていただければ松田さんのことだからすぐ送るわよ」という。私は思わず頭金の額を提示して購入の意思を示したが、事実Macintoshは翌日届いた(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日ではなかったが数日後だったか、ESD社にお礼も含めて挨拶に行った。これまた手塚さんは当初からそこまで考えていたのかどうかは今となっては分からないが、同社が発行している季刊誌「アップルマガジン」の編集長をやってくれないかとの依頼があった。無論それまでにもビデオデジタイザーなどの原稿を投稿してきたから「アップルマガジン」がどのようなコンセプトで発行されているかなどは知っていたが編集長とは思ってもみないことだった。さらに1年間の契約で毎月○万円のアルバイト料をいただけるとのこと…。

 

ありがたいことにこの編集長を1年間体験させていただいたおかげでMacintoshの残額を難なく完済できたわけで、もしこうした配慮の機会がなければ私がMacintoshを購入するのはもう少し後になってからになったと思っている。

その御蔭といっては何だが、私は苦もなくMacintoshにのめり込んでいった(笑)。

 

 

 

私が編集長となった最初のアップルマガジン(1984年Vol.2 Number4)。紀田順一郎さんの執筆も載っている。なお表紙も私がビデオデジタイザで取り込んだデータを使った

アップルマガジン(1984年Vol.2 Number4)
1983年に購入したNEC PC-100とグラフィックタブレット

1983年に購入したNEC PC-100とグラフィックタブレット。PC-100には二つボタンのマイクロソフトマウスが装備されていた

そのとき、Macintoshにインストールされていたボーダーラインは「Mac the Knife」というクリップアート製品に収録されているデータだった

クリップアート「Mac the Knife」
初代Macintoshの裏面
初代Macintoshのフロント

Macintosh 128K (初代Mac)

・記載の製品名、企業名などはそれぞれ各社の登録商標または商標です。
・記載する情報の正確さならびに安全性について、当サイトは保証いたしません。
・特に明記のない場合の転載はご自由ですが、出所出典および当サイトのURLを明記してください。

© 2003 - 2017 Macテクノロジー研究所