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起業前夜〜広告代理店からの呼び出しが人生を変える

Macintoshの登場から4年の歳月が流れた1988年の夏だったか、私の人生を大きく変える1本の電話を受けた。それは「MACLIFE」の編集長高木利弘さんからで、誰もが知っている超大手広告代理店から私への紹介依頼があったらしくできるだけ早く訪問して欲しいという内容だった。

 

どうやら「MACLIFE」に執筆した私の記事を読んで相談したいことがある…ということらしいが、相手は大企業だしMacに関連するお話なら相手に不足はないからと喜んで出向いてみた。

ただし正直、それまで貿易会社の社員として大手商社らをはじめいわゆる大企業の担当者らと付き合ってきた経験から、大企業との付き合いは好きではなかった。なぜなら担当者の多くが大企業の名を振りかざし取引先に無理難題を押しつけようとすることが多かったからだ。しかしその広告代理店の方はそうしたイメージとは違い物静かでジェントルマンだった。この方との出会いが私の運命を大きく変え、自身の会社設立のきっかけとなったのである。

 

大手広告代理店の方の話しとは、本来ならミニコンかワークステーション用として開発すべき事案だが、今後台頭してくると考えているMacintoshを使い、特殊な画像データベースを開発したい...ということだった。

多変量解析などを駆使するのは良いとしてもその時期はやっとMacintosh IIが登場し、カラーが使えるようになったもののいわゆる現在のようにフルカラーではなく同時に256色しか使えないカラー環境だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無論メモリも大変高価だし2MBとか4MBが標準搭載で内蔵ハードディスクにしても80MBとか、せいぜい160MBといった時代だった。

正直いって私の頭の中にはその画像データベースのイメージが鮮明に浮かんだものの悲しいかな私はそれをプログラマとしてコーディングする能力を持ち合わせていなかった。ただしその瞬間、私の脳裏に1人の男の顔が浮かんだ...。

 

その数ヶ月前だったか、NIFTY-Serve経由で横浜在住のKさんより連絡があり、エプソン製のカラーイメージスキャナをMacintoshで使うためのアプリケーションを試作したので評価して欲しいという依頼があった。記録によればKさんのフォーラム初書き込みが1988年4月17日だったからそれが彼と接触した最初のようだ。

 

結果当時埼玉県の川口市に住んでいた私の自宅にKさんが訪ねてくれたこともあり、彼のプログラマとしての能力が大変秀でたものであることに驚いたことを思い出したのである。

彼なら...私らが理想とするMacintosh用アプリケーションを作れるはずだと確信したものの問題は広告代理店からそんなに容易く正式な開発依頼が来るとも思っていなかった。そしてサラリーマンであるはずのKさんに現在の仕事を辞めて一緒に起業しようという説得が簡単であるはずもない...。しかし私の思いは急速に膨れあがり、珍しくすべてをポジティブに考えられるような思考回路になっていたと思われる。

 

面白いもので人生にはそうした転機がいくつかあるものだ!

同年私は40歳になっていたこともあり、もし起業するなら経験も体力的にもベストだと信じていたし、そうしたチャンスは今後二度とないだろうことも確信していた。

 

早速私の理解できる範囲で仕様を把握し、クライアントである広告代理店に概算見積もりを算出してみたが開発およびサポートを含めて15ヶ月程度を必要とし、開発費用は必要なハードウェアを別にしても3千万円前後という大層なものになった。なにしろ1980年後半の金額である...。無論大金である。

 

また近々、前記した256色カラーがフルカラーを使えるようになるという情報も聞こえてきたがこればかりは我々が約束できることではない。それに何よりも超大手の広告代理店から見て一介の会社員およびライターでしかない私にそんな大層な開発依頼をするほど大企業はリスクを冒さないだろうとも考えた。しかし相手は貿易会社の社員である私ではなく「MALIFE」で数々の実績がある人物としての私個人に期待を寄せて下さっていることをひしひしと感じ頭が下がる思いをしたものだ。さらに驚いたことにクライアントは私が提示した見積額に対して一円の値引き交渉もなくOKの返事をよこしたのだ…。

 

当時はどのような目的でそうした画像データベースシステムが必要なのかは不明だったが、社内で数千万の予算が確保できるなら、担当者ご自身としてもリスキーな仕事はしたくないに違いない。ある種面白味はないかも知れないが確実であろうワークステーションをターゲットにした開発を行えばリスクは最小限に抑えられるに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Macintoshフリークの私が考えても当時のMacはMacintosh IIという最速マシンを例にしたとしてまだまだ非力だったからだ。

しかし今でも思い出す度に身震いするが、広告代理店の担当者は「松田さんにお願いしたい」という結論を出したのである。嗚呼...どうしたらよいのか(笑)。

 

私の迷いを透かし見るように広告代理店の担当者は「松田さんを見込んでのお願いであるが見積額からして個人に依頼できる話しではないことは理解して欲しい」といいつつ「これを機会に松田さんが独立して起業するなら全面的に応援する。その新しい会社に開発を発注しても良い」というとてもつない後押しというか普通ならあり得ないむちゃくちゃな話しを言い出したのである。

その頃、勤務先である貿易会社の先行きに大きな不安を持っていた私は数日あれこれと考えた結果、相棒として適切なプログラマが全面的に協力してくれるのであれば会社を辞めてMacintosh関連の仕事をしてみたいと現実的な思いを強くしたのだった。

 

 

 

 

 

1987年にリリースされたApple初のカラーマシンMacintosh II によるサンプルイメージ

1987年にリリースされたApple初のカラーマシンMacintosh II によるサンプルイメージ。実は現在のようなフルカラーではなく256色同時表示という制約があった

1988年当時の筆者マシン環境

1988年当時の筆者マシン環境。これでも最強のマシンだった

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