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起業にあたり、参考になった三つの会社

ところで少し先走るが、1989年に私がソフトハウスを起業するに当たり意識・無意識はともかくそのお手本とした会社が三つあった。一つは現在キヤノングループに併合されたようだがVectorWorksなどで良質のサービスを提供しているエーアンドエー社、二つ目はMac書道やクリップアートで知られている演算星組、そして最後はApple II 時代およびMac登場黎明期まで活躍したイーエスディラボラトリ社である。

 

エーアンドエー社は我が国でAppleに関わる最古参の会社だ。古くはSweetJAMという独自の日本語利用環境を提供してくれた企業であり、現在もCADアプリケーションのVectorWorksなどで知られている会社である。

高田の馬場に同社のオフィスがあった当時はひとりのユーザーとしてよく立ち寄らせていただいた。しかし今思えば仕事中に迷惑な話だったと思うのだが、社長の新庄さんはいつもいやな顔のひとつも見せずにこやかに歓迎してくれた。私はそれまでこうした雰囲気を持つ会社というものを知らなかっただけに色々な意味で大きな影響を受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事実起業してからも1995年にプログラマを支援する団体としてMOSAを設立した際、新庄さんは会長に私は副会長の立場でお世話になったし個人的にも新庄さんには言葉では語り尽くせぬ恩義を受けている。

そして企業といえども、根本は人の問題なのだということを身をもって感じたのがこのエーアンドエー社だったのである。

 

また演算星組は、新しいタイプの頭脳集団という感じがしてその情熱に随分と感化されたし仕事の帰りにこれまたよく立ち寄らせていただいた。その勢いで「Mac書道」のマニュアル一部の執筆まで担当するはめになった。そしてオリジナリティがいかに大切なのかという点においても参考になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はじめて演算星組の井上社長から自宅に電話をいただいたとき、女房が「あの、なんとか組というところから電話なんだけど…」と心配そうに受話器を渡してくれたくれたことを思い出す(笑)。

 

さらに私にとってApple IIの時代から通い続けていたイーエスディラボラトリ社の雰囲気はこれまた格別であった。

例えば...勤めを終え夜になり、イーエスディラボラトリ社のドアを押すと...。「あら、松田さん...いい所へ来たわね」「良いワインが入ったところなので一緒にいかが」などということもあった。

 

イーエスディラボラトリ社はこうして顧客を非常に大切にする反面、利益は当然のことだがきちんと取った。事実安易な安売りはしなかった。しかし馴染みの客には太っ腹を発揮する時もしばしばで、ろくに支払い条件もままならないときでも品物を真っ先に届けてくれることもあった。

とはいえ、イーエスディラボラトリ社の信念・信条を本当に理解してくれる客はひとり、また一人と少なくなってきた反面、急速に拡大してきた市場に現れた過去と未来をまったく考えない、文字どおり1円でも安い方が良いという客層が増えてしまったことも事実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

必要なシステムを考えうる予算の中で1時間でも2時間でも辛抱強く客にアドバイスし、見積を作ってくれるイーエスディラボラトリ社だったが、そのノウハウの権化とも言える当の見積書を持ち、そのころから乱立し始めた安売りショップに駆け込むマナー違反の客も多くなったのである。

 

顧客から見れば、1円でも100円でも安い方が良いのは当然である。しかし彼らは企業が何で成り立ち、何が故に自分たちがそのような行き届いたサービスを受けられるのかを考えたことはないのだろうか…。

パーソナルコンピュータがマニアの世界から一般の世界へと広がったのがひとつの要因でもあるのだが、皮肉な結果としかいいようがない。時代が変わりつつあるのと同時に人の心にも大きな変化が目立ってきたように感じたものだ。

 

時はアップル社をも変えていく。Appleの日本代理店もイーエスディラボラトリ社から一時意外とも思えた東レに変わったかと思うと、またまたイーエスディラボラトリ社が担ぎ出された。そしてアップルジャパンという日本法人が設立されたと思うと、今度はキヤノン販売がアップル製品を取り仕切ることになり、イーエスディラボラトリ社は蚊帳の外という運命になった。

 

1977年4月16日、サンフランシスコで開催された「第一回ウエストコースト・コンピュータフェア」でイーエスディグループ社長の水島敏雄氏が、あのスティーブ・ジョブズに袖を引かれたことが縁で、発表したばかりのApple IIを日本に持ち込むことになったことは知られている。

しかし、わが国で最初にアップルを高く評価しApple IIやMacintoshを愛した水島さんに一番辛い思いをさせて日本のMacintosh市場が大きくなったことを考えると、思い出す度に当時その現場近くにいた一人のユーザーとしては何ともやるせない気持ちになる...。

 

確かにアップルはその製品の魅力故に、一時期力任せに進んできた感もある。日本の市場で成功しなければならないというその大義名分の為に...。しかしAppleに決して頼まれたわけではなく、これまで市場の拡大に貢献し続けた多くの人たちの存在を、たとえAppleが忘れたとしても私は忘れないだろう。そして「企業を育てるのは良質の顧客である」という真実はどのような時代においても変わらないと私は思っているのだが...。

しかしすでにそうしたことが期待できる時代ではなくなってしまったのかも知れない事実が現在の閉塞感を打破できない大きな要因なのではないかとも考えている。

 

さてさて、これら3社からは外れるが長い間アップル製品の販売拡張に力を尽くされた企業としてはやはりキヤノン販売(現:キヤノンマーケティングジャパン株式会社)を筆頭にしたキヤノングループを忘れてはならないだろう。

私の起業した小さな会社は幸いなことに最初期から当時のキヤノングループと親密な取引をさせていただきその過程で企業のあり方などさまざまなことを学ぶ縁となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無論キヤノングループは日本を代表する大企業であり我々が参考と出来るような単純な組織ではなかったが担当の方々は皆さん腰が低く真摯で、ベンチャーといえば聞こえはいいもののどこから湧いて出たかも分からないような我々を対等に扱ってくれた...。

生き馬の目を抜くビジネスのことだから当然紆余曲折はあったものの、もしキヤノングループの努力がなかったら日本におけるMacintosh、いやアップルのあり方は大きく違っていたものと思われる。

 

こうして振り返って見ると私はエーアンドエー社から「企業は人なり」ということを、演算星組からは「オリジナリティの大切さ」を、イーエスディラボラトリからは「サービスのあり方」を、そしてキヤノングループからは「企業の本質とはなんなのか」を学ばさせていただいたことになる。

 

 

アップル、ディーラーおよびデベロッパーを交えた社長会で進行役を務めるエーアンドエーの新庄宗昭氏と筆者

アップル、ディーラーおよびデベロッパーを交えた社長会で進行役を務めるエーアンドエーの新庄宗昭氏(左)と筆者(右)。1997年アップルジャパン会議室にて

1988年 Macworld Expo/SFに出展した演算星組ブース

1988年 Macworld Expo/SF に出展した株式会社演算星組ブース。左奥が代表の井上弘文氏(筆者撮影)

イーエスディラボラトリ社ショールーム「コンピュータラブ」

1983年のイーエスディラボラトリ社ショールーム「コンピュータラブ」。1983年6月発行APPLEマガジンより

アップルジャパン内でキヤノンの前田達重氏とお会いし、名刺交換する筆者

アップルジャパンで前田達重氏(左)とお会いし、名刺交換する筆者(右)。前田さんはキヤノン販売において初代のアップル営業部長として辣腕をふるった方だが、お会いした当時はキヤノテック株式会社(現:キヤノンネットワークコミュニケーションズ株式会社)の代表取締役だった。しかし残念なことに2005年3月11日に逝去された

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