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プログラマーのKさんと一緒に会社を設立することに!

私にできることはまずKさんを説得することだ。もし断られたら別途適切なプログラマを探し何らかの契約の元で目的を達することを考えるしかない…。そう考えた私は早速その思いを彼に素直に伝え一緒に会社を創ってみないかと誘った。まさしくスティーブ・ジョブズがスティーブ・ウォズニアックを口説いたとの同じような台詞となったが、自分たちの会社を作るなど人生でそんなにないチャンスだと説いた。

 

「うまく行かなければサラリーマンに戻ればよいではないか...」というような話しもした。確かに私には失うものはないと思われた…。Kさんも私と同様現在の仕事に不満を持っていると話し、結論として一緒にやってみたいと言ってくれた。ただし後年知ったことだが実はその時彼はすでに勤務していた印刷資材の会社を配属の不満から退職していたようだ…。そのときそのことを言い出さなかったのは精一杯の駆け引きだったのかも知れない。

 

そんなわけで時代が背中を押してくれるという実感をこのときほどしたことはない。なにしろ数千万円もの見積もりは一円も値切られることもなくそのまま受理されたこと、Kさんから正式に一緒にやりたいという返事があったこと、そして友人知人たちは全員といって良いほど「MacとかAppleだなんて誰も知らないパソコンの会社など止めた方が良い」と忠告してくれたが、女房だけはどうしたことか不安などどこ吹く風といった感じで「いいんじゃあない...」と転職を簡単に認めてくれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局広告代理店は早々に私が会社を設立することを条件に開発を発注してくれることになった。このことは嬉しいことだが実務面では大変なことでもあった。

まず勤務先を円満退社する必要があったが、これは私が考えた以上に簡単ではなかった。なぜならいくら傾き始めた会社だとしても私が負っていた仕事は即誰かが代われるほど柔な仕事ではなかったし、何よりも社長が私の退社を快く承諾してくれるとは思えなかった。また事実12年近くも世話になったことは確かだし心が痛んだが、その頃の会社は実に末期状態が見え見えで恩だとか情うんぬんで判断できる状態でもなかった。

 

なぜなら社長は取引先はもとより知人友人たち、そして出入りの会計士の先生にまで借金をしていたし、実は私自身も個人的に大金を社長に貸していた...。一応借用書はあったものの会社が潰れればそんなものはただの紙切れになってしまうことは明白であり事は急がなければならないと思った。

 

一方なかなか決まらなかったのは新しい会社の社名だった。

後に「コーシングラフィックシステムズという社名には何か由来があるのか?」とよく聞かれたが、それには「お答えするのに30分くらいかかりますよ」と笑って誤魔化すことにしていたものの確かに由来というか、そうなった経緯には複雑な事情があった。

 

ともかく広告代理店からは度々「会社設立はいつになるか」という問い合わせがあった。しかし現在は商法が改正されいささか状況は違っていると思うが、当時は会社設立場所の同一地域で同じ業種の類似商号は認められなかった。したがって仕事の合間に大手町の法務局に出向いてあれやこれやと調べていたもののなかなか「これ」といった社名が決まらなかったのである。

「松田とKさんの会社だからM&Kかな...」といった安易な社名はすでに存在していたからだ。

 

私がそれまで勤めていた会社は「光進ケミー株式会社」といった。ケミーは確かケミカルのドイツ語かなんかをもじったものらしいが “光進” は社長が加山雄三のファンで、彼の持ち船「光進丸」から命名したもの…と以前聞いたことがあった。

ともかく事を急がなければならない私は「光進」をカナで「コーシン」とし、Macintoshのグラフィックス関連のソフト開発をするのだからと「グラフィックス」を、そして収まりが良さそうだと「システムズ」と名付けて法人登記を済ませた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお新しい会社の社長は言い出しっぺで年上の私が務めるしかなかった...。そして相棒のKさんとは、広告代理店の仕事が無事終わり、引き続きこの仕事で食って行けそうならその時に適切な良い名前をつけようと言い合ったのである。しかし話しは先走るが名称とは面白いもので最初はかなり違和感があったものの使っているうちには気にならなくなっただけでなく、当初の予想に反し会社設立直後にキヤノン販売などからの特注開発などが相次ぎ、社名変更の機会は永遠に失われてしまったのだった。

 

一方勤務先を退職する件はいろいろと難しいことが山積していた。結局一年間勤務先の社長に役員として参加してもらうこと、それまでの残務整理およびしばらくの間は実務面での支援を行うということで基本的な合意を得た。

しかしそのよかれと考えた判断がその後に大きなアクシデントを招くことになってしまったのである。

 

 

起業を決意し事務所を探していた1989年初頭、ProVizというカラービデオシステムで自宅のシステムを撮った例。背景にエプソンのカラーイメージスキャナGT-4000と手にしたばかりのリムーバブル・ハードディスクが写っている

事務所があった都営地下鉄「曙橋駅」付近(2002年撮影)

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