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Macworld Expo/Bostonで親睦と絆を深める

1989年3月に法人としての会社は設立できた。資本金は私とKさん(以後相棒だったので敬称は略す)がそれぞれ200万円ずつ出し合い、計400万円で株式会社を設立したものの確か3年も経たないうちに1,000万円に増資することができた。そして2人はともかく良く話し合って仕事に当たり、担当する職種は違うものの責任も報酬も同じにすると決めた。

 

後から考えればこうした重大な局面の場合にお互い契約というか誓約書でも取り交わせば良かったのかも知れないが、後々の問題を考える余裕もなかったし、私にはKを誘ったがためにそれまでの会社を退職させたという負い目みたいな感情がどこかにあって、そうした五月蠅いあれこれはできるだけ省きたかった…。

 

ただし前に記したように後から知ったことだが、彼は一身上の決断からそのときすでに会社を退職していたらしい。そのことを私に明言しなかったのは悪意ではなく、精一杯の駆け引きだったのではなかったか…。

 

それから対外的には代表取締役を決めねばならず、言い出しっぺでKより一回り年上の私が社長の役目を果たすことになり、Kのタイトルは副社長兼技術部門最高責任者となった。

1989年8月には会社設立にあたり、発起人として協力いただいた友人たちを誘いMACWORLD Expo/BOSTONを回ったことは楽しい思い出となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やはり会社や仕事のためだけに顔を会わせているだけではなかなかお互い胸襟を開けないものだが、ボストンではボストン美術館を巡り、ニューヨークではブロードウェイで土砂降りの雨に打たれた後、本場のミュージカル「Cat’s」を観たりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無論遊んでいただけではなくボストン美術館や後にニューヨークの近代美術館などを巡る中で画像データベースのアイデアが浮かんだのだった。さらにMIT (マサチューセッツ工科大学)やハーバード大学なども立ち寄った。
















 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ところで私は事実上、1988年暮れにそれまでの会社を退職した後、早速事務所探しに奔走していた。

これまでの会社を退職することはできたが残務整理や場合によっては手伝いをしなければならないからと同じ都営新宿線で数駅移動するだけの曙橋という駅付近を物色し始めた。

 

地下鉄を出てすぐのところに一件の不動産屋があったので早速相談してみようと店内に入ったが、対応に出てきた男のパンチパーマ姿を見て「これはしまった」と思った(笑)。

とにかく店内に入ってしまったので適当に時間を潰して他を当たろうと考えていたところ、その男は意外といっては失礼ながら大変親切で、我々の仕事を理解したとはいえないもののこれから伸びる新しいビジネスに相応しいオフィスとしてすぐ近所にある大きなマンション「四谷ガーデニア」の一室を紹介してくれたのである。

 

それはいわゆる1LDK (35.31平方メートル)といったタイプの部屋でリビングとダイニングを合わせたスペースを事務所として使い、奥の小さな洋間を開発室として使える我々にとっては都合の良い間取りだった。

なにしろスタッフは私とKの他は一般事務担当として雇ったMというと女性1人、すなわちたったの3人だったからそのスペースで十分だった。そして当時は会社に来客があるなどということは考えもしなかったのである。

 

ちなみに女性社員Mは私が勤務していた会社で私自身が面接して採用した人物だったが、私が退職するにあたり日常英会話には不自由しないという能力を重視し、新しい会社へと誘った。なにしろ仕事柄英語を避けては通れないと思ったからだしその貿易商社はすでに死に体だったから早いうちに離れた方が良いとも思った…。

またMはそれまでの会社で私が「マック...Mac」というのに感化され、バイクを売り払ってMacintosh Plusのオーナーにもなった経緯があり、AppleとかMacintoshに対して情熱を持ち始めていたことも好都合だと考えた。

 

当初Kはプログラマは自宅でも仕事が出来ると言っていたが、1989年の秋口に事務所の契約をした直後から効率とか集中度を考えると自宅でない方がよいと自ら判断し、私と同様毎日事務所に通勤する形となった。

そうしてここにどうやら小さな...大変小さな組織ではあったが会社らしい体制が生まれつつあった。

 

とはいえ問題は仕事およびそのやり方だ。そもそもが広告代理店からの依頼で特殊な画像データベースを開発するために作った会社だったしそのために広告代理店に出向いたり、ある時にはホテルに泊まり込みでプロジェクトに関係する様々なプロフェッショナルな方々とのミーティングを重ねていたが毎日そうした打ち合わせがあるわけではない。したがって日常の大半は小さな事務所に閉じこもっていたものの、最初の頃は正直いってKと一緒に会社にいること自体に違和感というか遠慮みたいなものを感じていた。

 

なぜならお互いに納得ずくでこうした結果になったわけだし、それまでにも電話やメールあるいはパソコン通信で多々情報交換してきたものの、朝から夕刻まで顔をつきあわせているほど親しかったわけでもなく、考えて見るまでもなくお互い相手のプライベートなどに関してはまったく知らなかったからだ。

 

そもそもが友人だったわけでもなく、お互いの信頼関係だけで一緒にビジネスをやろうと決意したわけだから共通な話題はそれこそMacintoshだけしかなかった。

それはKにとっても同じ思いだったに違いない。しかし前記したボストンのExpoに一緒に行ったことは親睦と絆を深めるのに大いに役立ったと思っているし時間が経つにつれ、仕事自体が共通の話題...関心事となりそうした違和感は薄れていった。

 

それにKは決して付き合いにくい人物ではなく、物事に対して誠実に取り組みノーマルなとらえ方をする人だったし、何よりもお金に綺麗だった。というよりMから「Kさんってコンピュータ以外のことって何も知らないのね」と冗談を言われるほど些末なことに頓着する性格ではなかった。シャイではあるが気丈で素直な人物だった。

 

しかし後から振り返れば具体的なミッションは起業のきっかけとなった画像データベースの開発だけだったから他に目標やら野心といったものもなければ企業理念などということを考える余裕も発想もなかった。思えばおかしな組織だった…。

 

 

1989年8月、MACWORLD Expo/BOSTONでプレゼンするジョン・スカリーCEO

ボストン美術館

マサチューセッツ工科大学

ニューヨークにて筆者。後ろに小さく見えるのが自由の女神像

ブロードウェイ隣接のホテルからミュージカル "Cats" を公演している劇場が見える

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