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起業早々会社消滅の危機に遭遇

会社というには些かこそばゆいほど超マイクロ企業が回り始めた。ただし当初は広告代理店からの開発依頼だけで1年は有に食えるわけで、他に仕事を探すこともなく過ごすつもりだったが、Kが個人で開発し大きな話題となっていたカラースキャニングソフト「Color Magician」を会社の製品として契約し直したり、ある種の副産物として自社開発のパッケージソフトがいくつか生まれ始めていた。

 

「Color Magician」はそもそもエプソン社のGT-4000というNEC社パソコン PC-9801をターゲットにしたカラースキャナだったが、Kが開発したMacintosh用アプリケーションが好評で、渋谷のスリースカンパニーという会社ですでに販売されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無論それまでにもMacintosh用のカラースキャナという製品がなかったわけではないが皆高価でありコンシューマ市場で手軽に購入できる製品は皆無だったのである。それにその頃のMacintoshはまだまだ日本語が苦手というイメージから抜けきれず、Macintoshは事務処理マシンというより日本語利用をあまり必要としないグラフィックマシンとして販売する方がベンダーにとってもやりやすい時代だった。

 

だから「Color Magician」は確かによく売れたしこのアプリケーションがもし無ければ日本のMacintosh市場は2年近く停滞したのではないかと今でも考えているほどのキラーアプリケーションだった。しかし面白いことにエプソンからの接触はまったくなかった(笑)。

考えてみるまでもなく、アプリケーションを買ってくださったユーザーは間違いなくGT-4000を購入したはずだから、当時としては大変目立った台数が売れたに違いない。しかし後にイベントでご一緒したエプソンの営業マンは「Color Magician」のおかげ...すなわち「Macintosh向けとしてGT-4000が売れていることの認識が我が社の上層部にまったくない」のだと苦笑しておられたことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに私は笑い話としてふれ回ったことがある。それは「Color Magician」とGT-4000でMacintoshユーザーは果たして何をやったのかと…。

ユーザーのほとんどは当時男性だったに違いなく、その頻度はともかく多くのユーザーは「肌色の忠実な再現が画像処理には重要なのだ」という名目で女性のヌード写真を黙々とスキャニングしたに違いない(笑)。だとすればスキャニングした画像データを収めておくストレージも必要だったわけで「Color Magician」の存在はカラースキャナだけでなく大容量ハードディスクの購買意欲を高めるためにも貢献したに違いないと信じている(笑)。

 

ともかくこうして何の心配もなくスタートしたかに見えたコーシングラフィックシステムズだったが、早々に会社消滅に関わりかねないアクシデントに見舞われたのである。

退職した元の貿易会社には一ヶ月に数回、Mに出向いてもらい、業務の手伝いをする約束を果たしていたがある日とんでもないニュースが飛び込んできた。

社員がいつものように出社したものの会社に入れず社長が行方不明になったという。それは不幸な出来事だが幸い我々にはすでに関係ないことであり他人事だと割り切ろうとしたものの数週間後1人の男性からの電話で私は身が凍る思いをすることになる…。

 

その初老の男性は以前から貿易会社の社長の知人ということで面識はあったが、一介の社員の私には親しく話しをする機会も必要もなかったからどのような関係なのか等々詳しいことはまったく知らなかった。

近所の喫茶店で話しを聴いたところ、男性は懐から一枚の用紙を取り出し済まなさそうに私の前に広げて見せた。それは二千万円ほどの借用書で男性が所有していたゴルフの会員権を解約して社長に貸した際のものだという。

問題は末尾にその貿易会社名と代表取締役としてのAの名だけでなく、何とコーシングラフィックシステムズの取締役としての名が連記されていたのだった。勿論事前に了解を得るためのコンタクトなどなかったから借金をしたい一心での苦肉の策だったのだろう。

 

仔細は省くが、弁護士に相談したところ元社長のAから返済が見込めない場合には連記した我々(会社)に返済の責任が及ぶということだった。

資本金がたったの400万円で...生まれたばかりの超マイクロ企業、そして請け負った開発業務も進行中のこれからという時期に最大のピンチに出会ってしまったのである。

 

当時のことを思い出すと今でも寒気がする。しかし私は自分でも意外なほどに冷静沈着だった。

大切な事はいかに会社へのダメージを最小限にするかにあった。問題を避けられないのであれば逃げずに正面から事に当たろうとその男性と向き合って話し合いを始めた。

 

私が申し出た概要だが.....貴方には心から同情するがどうしても借用書の額面どおりの返済を望むのであれば会社を直ちに閉鎖し別の会社を作って出直す。いまはそれができる時期だ。しかし1/3以下の額で納得してくれるなら毎月均等額で返済の努力をする...という条件を突きつけた...。

 

彼は肩を落としながらも私の条件を快諾してくれた。ひとつに男性が悪意を持った人物ではなく不用意に人を信じ、その結果老後の蓄えとも考えていた大金を失った自分を恥じていたこと。そして万一強引な要求をした場合、我々がそれに耐えられるほどの相手ではないことを重々認識していたと思われる。

憎むべきは以前の会社社長Aだが、その後に数人の方とお話しをした結果、名だたる企業の役職者からも大金を借りており、中には文字通り退職金を全額貸した者までいたし保証人になった同業者たちも出て来た。

 

この一件は幸い設立したばかりのコーシングラフィックシステムズに金銭面での問題を生じることはなかったが、相棒のKに心配と迷惑をかけたことは事実であり、Kは何も言わなかったものの私はその後もハンディキャップを感じ続けた…。何しろ私が貿易会社を円満退社するためだとはいえ、社長のAを起業した会社の取締役に選任したことが原因となったのだから。したがって責任を明確にしようと本来は余計な出費となった返済額と同額を毎月私の報酬から差し引くことにした。

事実約3年ほどの間、それは私の一存で決めたことだがけじめと考えた。実際…例えば1991年の「給与所得の源泉徴収票」が残っているが、私の年俸額はKよりかなり少なかった。そんな問題を抱えつつも会社は少しずつ会社らしくなっていった。

 

ところで事務所を開設して最初にやったことは会社のイメージ作りの一環としてロゴデザインを決めることだった。大げさにいえばCIということになるが小さな会社だとはいえ、その心意気を市場やユーザーに知ってもらいたいという気持ちが強くなりその旗印...シンボルが欲しかったのである。

 

とはいえ我々はあのスティーブ・ジョブズがNeXT社を起業した際に依頼したロゴのように大枚の予算を取れるわけではなかったが社員Mの知り合いから紹介されたデザイナーに会社の意向を説明した上でロゴのデザインをお願いした。後に「カラーおでん」などと言われることになったあのロゴである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そういえば1989年の秋口に事務所を開設した直後、我々のその後のイメージを大きく左右するひとつのアプリケーションがひょんなきっかけで生まれたのだった。それがコンシューマ向けとしては最初のMacintosh用デジタルビデオ・システム「VideoMagician」だった。

 

 

 

起業の1年ほど前にKが個人で開発したColor Magicianは渋谷のスリースカンパニーというショップで商品化されていた。これはその初版マニュアル

EPSON GT-4000 フラットベッド型カラーイメージスキャナ

これは創立10周年時に使用したAdだが、赤・青・黄のロゴは起業最初期に制作したもの

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