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東京ユニテック社との米国向独占販売契約の思い出

いま思えば、この黎明期特有の危なげなビジネス例も多々経験することになる…。その一例として東京西池袋に本社があった東京ユニテック社との取引は忘れられない。

同社は “パスカル” というMacintoshのショップを運営し人気を博していたしユーザー目線で躍進を続けていた企業だったがワコム製のタブレットをいち早くMacintoshで使うインターフェースとドライバを開発してみたりと積極的に未来への投資を続けていた。

 

同社の青山社長は大変誠実な方で早くから積極的なアプローチがあり、数件の開発依頼を請け負っていた。ある日のこと「折り入って相談がある」という電話をいただき、私は勇んで伺った。挨拶もそこそこに青山社長は私を近所にある喫茶店滝沢に誘った。「ここが私たちの応接室なんですよ」と笑いながら…。

 

折り入っての話しというのは我々の人気アプリケーション、カラースキャニングソフト「ColorMagician」の米国向け独占販売権を欲しいという依頼だった…。

聞けば今後積極的に本場の米国にも市場開拓を怠らずにやりたいと考えているが、日本から向こうに持ち込むべきアプリケーションがほとんどなく米国市場やユーザーに注目を浴びるネタがないことに気がついたという。したがってその第1弾として英語版「ColorMagician」および対応するカラースキャナを米国で販売することを考えたという話しだった。ついてはそのための権利を独占したいということだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無論その種の商談は我々にとっても大きなメリットがある。我々自身も本来なら自分たちで自社開発ソフトを世界に売り込みたいとは思っているものの、どうあがいてみても人的リソースとノウハウの不足は明らかで、信頼出来るパートナーでも存在しない限り海外進出は難しいと考えていた。ただし我々ならずとも東京ユニテックにしたところで米国市場への販路を確保するにはそれなりのリサーチと準備が必要に違いない。

 

私は海外ビジネスに詳しくはないものの、例えばエプソンGT-4000といったカラースキャナを米国に輸出するとしても向こうのFCCなどを初めとする規格に準拠している仕様なのかどうか、輸出ならびに販売の認可を取れるのか...などなど確認し調べなければならないことは山ほどあるに違いない。私はその点を社長に申し上げそうしたリサーチが済んでから我々との契約をしても良いのではないかと提案した。正直ビジネスとしてはありがたいものの、急ぎすぎ…無謀に思えたからだ。

 

青山社長は私の顔を正面から見つつ、そうした好意的な提案は大変嬉しいしコーシンさんの誠意をありがたいと思うが、急速に拡大しているこの業界だからもしかしたら明日にでも同種の契約をあなたに迫る企業が出てくるかも知れない…と言いだした。

「ColorMagician」にはそれだけの魅力があると思っているし、もしそうした場合にコーシンとしてもビジネスだからそちらを優先するかも知れない。だから私たちはどこよりも先手を打ちたいし事を急ぎたいのです…どうしても米国向けの独占販売権を早急に取得したいのだ…と熱弁をふるわれた。

 

まあ、可能性はゼロではないものの、簡単にそうした話しが他社から多々持ち込まれるはずもないと思っていたが、東京ユニテックの社長がそういわれるのであれば私に異存があるはずもなく、早速米国市場に限った独占的な権利を含めアプリケーション販売に対しての協議を続け、正式な契約に至った…。ただし独占的な権利をとなれば下手をすると未来の我々にとって命取りになる可能性もあるわけでリーズナブルな契約にはなりようもなかったが、すべて青山社長は我々の主張を誠実に受け入れてくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

契約に関わる詳しい条件についてお話しするのは遠慮するが、いま当時の販売許諾契約書の原本を確認すると、米国独占販売権に相当する契約金が一千万円、そして別途向こう一年間に毎月最低2,000本の販売を請け負ってもらうという契約を締結した。1990年3月1日のことだった。勿論英語バージョンの開発と東京ユニテック向けのサポートを含むという条件である。

いまから振り返ると契約金はともかく、月あたり2,000本のノルマは大変なことに感じられるが、当時ColorMagicianの国内販売数を考えればMacintoshの本場米国市場における販売数としては決して無謀な数ではなかったのだ。

 

それだけ当時、東京ユニテックはビジネス的に成功していたしこうした条件の大枠は私が提示するというより青山社長からの提案をベースに作ったものだった。しかしColorMagicianの卸値は思い切って安く設定したにせよ、2,000本/月の売上げは超マイクロ企業の我々にとって大きな力となるはずだった。

 

繰り返すが当該契約は1990年3月1日付けだったものの、私が心配したとおり当該ビジネスは東京ユニテック側の都合で先に進まず、3ヶ月が過ぎ半年が過ぎても具体的な進展はなかった…。とはいえ契約は一年間有効であり、結果的に我々はその事案に関して何も労せず、契約金はもとよりだが毎月の請負額を契約書に基づき受領することになった。

その後も東京ユニテックとの親密な交流は続いたものの、同社の経営が次第に思わしくなくなり、かつ残念なことに社長が急死されたことから取引は解消となった。

 

 

Color Magicianのマニュアル。左が最初期のもので会社の名義となったのは1990年リリースのColor Magician III (右)になってからだった

東京ユニテック社と契約書。内容はColorMagician英語版を米国向けに販売する独占契約を締結

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