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札幌支店開設の経緯

1990年は大きな出来事がまだまだ多々続いた。翌年からMacworld Expo/Tokyoを開催したいという企画が生まれ、IDG社の代表玉井さんが事情通のひとりとして私に話しを聞きたいと来社された。結果はご承知のようにその後10年の間Macworld Expo/Tokyoは開催され、我が国のMacintosh市場を盛り上げ多くのドラマを生んだことはまだまだ記憶に新しい。

 

またこの1990年という年...我々にとって一番大きな変化は11月に札幌に支店を開設したことだろう...。

後年になってもよく「なぜ札幌に支店を作られたのですか?」と質問攻めにあったが、その言葉の裏には「超マイクロ企業の御社になぜ支店などあるのか」という意味も込められていたように思う(笑)。

 

確かにたったの3人でスタートした我々に、支店とはそぐわない感じがするのだろう。事実私にとっても青天の霹靂であった...。

1990年の夏頃だったと記憶しているが副社長のKが珍しく相談事があると声をかけてきた。何事かと思ったら札幌にあるソフトウェア会社、SDエンジニアリング社がマック部門を閉鎖することになったという。

 

同社は古くからMacintosh関連ソフトウェアを提供していた会社でその前年だったか、Kが以前勤務していた会社の先輩Y.KがKの紹介で故郷の北海道に戻り、同社にプログラマとして勤務していたのである。そして同社にいたもう1人のプログラマも知り合いだったこともあってKが開発したPrintMagicianという低価格プリンタ向けカラー印刷ソフトの販売を同社にお願いしていた...という経緯もあった。したがってマック部門が無くなるということは必然的にその2人のプログラマが解雇になるということらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

K自身も多少躊躇があるのか私に向けた視線を外しながら「...良い機会だと考え、我々と一緒に仕事...できませんかねぇ...」という。

当時我々は起業のきっかけとなった広告代理店からの開発依頼を無事に納品したのは勿論、キヤノン販売を初めとして開発依頼が多々舞い込んでいたし、副社長の抜群の働きでそれらのビジネスも好調で予想以上の成果を上げていた。

 

もともと私とKは会社を大きくするとか上場しようという気はまったくなかった。だから後年数社のベンチャーキャピタルが資本加入を申し込んできた際にもお断りをしたくらいで、しばらくは3人で気楽に仕事が出来ればそれで良いと考えていたのである。そこに2人のプログラマを雇えないか...という話しは常識的に考えれば無謀だった...。

 

申すまでもなく人を雇う際のリスクの第1は経費面の問題だ。聞けば2人のプログラマは妻帯者で子供もいるという。だとすればまさか単身赴任で東京に来いという訳にはいかないだろう...。

余談ながら1990年5月にはさすがに事務所が狭く、応接室およびプレゼンルームとして活用しようと通りを渡った位置にある「ウィン四谷」ビル10階のワンルームを借りそれなりに経費も増大していた時期だった。それに8月には経理専門の仕事を任せられる人材として女性が入社し本社は4人になっていた。

 

では札幌の地で一緒に仕事をするにはどうすればよいか。まさかそれぞれの自宅で仕事をさせるとなればコントロールが難しくそれでは仕事に支障が出るだろうしこちらが困る。まだまだ携帯電話が普及していない時代であり、例えば自宅に仕事の電話をしたとして奥さんや子供らが電話口に出るような事は避けたかった。

 

一番の理想は現地に小さくとも事務所を設けて支店とし、東京新宿の現在の場所を本社として会社の目標に沿った仕事を彼らにも担ってもらうことをと考えた。私の記憶ではKからの相談に二つ返事でOKと返事をしたはずだ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時の心境を正確に伝えることは大変難しいが、瞬時に1ヶ月の経費を計算し1年ほどは難なく仕事が続けられると判断したこと。そして会社を大きくしたいという意味ではなく会社をより面白くしたいと考えた。また言葉にすると不遜に聞こえるかも知れないが会社は私と副社長が作った会社であり、副社長のKが「そうしたい」と強く希望していることなら叶えてやりたいと思ったし、万一のときは我々の会社なのだからいつでも幕を下ろせば良いと考えもした。

 

2人のプログラマとは展示会などで2,3言葉を交わしたことはあったが正直その人となりは勿論プログラマとしての技量のほどを知らなかった。しかしプログラマとしての能力とその配分はそれこそ副社長に任せばよいとも考えたのである。ただし先の話となるが現実問題として経費面だけのことではなく、札幌支店の開発業務は効率が悪く、かつ2人の関係がギクシャクして私を悩ませることになる。

 

ともかく2人のプログラマ、Y.KとM.Tの2人にはその旨を知らせ、まずはロケーションもそこそこ良く家賃もリーズナブルな事務所を探すように指示した。

そういえば個人的なことながら私はそれまで札幌はもとより北海道の地に足を踏み入れたことがなかった。しかし歯車が回り始めたのか、まるで札幌で仕事をするのが運命とでもいうように初めて北海道出張の仕事が舞い込んだのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは札幌のキヤノン販売からの企画および依頼だったが、旭川市役所で100名のデザイナーを集めたMacintoshセミナー「旭川デザインワークセミナー」を開催したいのでその講師をという話しだった。

 

 

低価格カラープリンタ向け印刷アプリケーション「PrintMagici

an」パッケージ

開業準備中の札幌支店

北海道旭川市役所で開催された「旭川デザインワークセミナー」で講師を務める

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