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社内の人的問題と契約事項の法的根拠を明確にすることに注視する

マイクロ企業とは言え、組織をトラブルなく運営していくには重大な要素が2つある。ひとつは無論資金であり、もうひとつは人材であろう。この両輪が文字通り一体となって回らなければ規模の大小にかかわらず企業運営に支障が生じてくる。

 

起業してから数年間、規模も小さいこともあったしその割には売り上げも良く資金的な面で困ることはなかった。ただし私が心を痛めたのは札幌支店の運営と男性2人の問題だった。

経費面では本社の業績が良かったから札幌支店としての成果が上がらなくてもトータルとしては問題なかったが、札幌とのコミュニケーションが次第に難しくなってきたこと、そして何よりも札幌支店の要である男性2人が感情的にあまり上手くいっていないことを知る。

 

2人が本社に出張した際に副社長らと会食の席を設け、雑談や新製品への話題で盛り上がりつつあったとき、何がきっかけだったか...開発担当部長が支店長向かい「あなたは売り上げに貢献していない」と責め始めたことがあった。

確かに当時それは間違いない事実だった。支店長の開発プロダクトは進捗状況が遅いこともあり、かつ経験と力量との関係もありどうしても地味なプロタクトを任されるケースが多かった。しかし叱咤するのは私の役割であっても同僚の人間が口にすべきことではないし、当の開発部長が担当していたプロダクトにしても利益という面においては威張れる結果ではなかったわけで、こうした雰囲気ではよい仕事はできないと悩んだ…。

 

副社長の口癖はどこまで本気で冗談なのかはわからなかったが「早く解散して皆が食えるように頑張ろう」というものだったが、思えば会社もこれからの時期だというのに変な励まし方だ(笑)。ともあれ彼の推挙で札幌支店の2人はコーシンの社員となったわけだ。しかし副社長も2人の歯車が少しずつ噛み合わなくなっていることを知ってはいたが、それを修復しようという気持ちは無く楽観的に構えていたようだ。本来ならKは開発側の責任者なのだから、2人の中を修復すべき動くことを期待していたし、その旨依頼はしたものの具体的なアクションはなんらやってくれなかった。したがって何とかできることなら何とかしなければならないのは社長たる私の役目であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて人事の問題の他に取引先あるいは取引案件が多くなるにつれて私の負担が大きくなったもうひとつの問題があった。

それは大手企業らとの契約書取り交わしに関わることや,日々大小は問わず起こり得る法律的なトラブルをどう裁くかにあった。無論私は法律の専門家ではないが最初の内は幾多の例を参考にして積み重ねてきたノウハウで独自の契約書を作成して使ってきたし、例えば弁護士に相談するような表面だったトラブルは発生しなかったもののビジネスがそれなりに大きくなってくるに従い、素人の判断ではどうしようもない事例が増えてきたのだった。

 

なにしろ我々の契約相手は皆日本有数の大企業だった。というより私は意識的に聞いたこともない会社からの依頼には耳を傾けないようにしていた。なぜなら万一ひとつでも契約不履行や売上げ回収が不能といったことがあるとすれば即我々自身が立ちゆかなくなるのは明白だったからだ。

 

現在は知らないが当時の大企業はそれなりの自負は持っていたし、少なからず上から目線の対応だとしても契約を守らず無法なビジネスをすることはまず考えられなかったからだ。こうした判断のおかげで売上げ回収の一部ができなかったのは後年のただ2社のみだったし、その会社はやはり…大企業ではなかった。

 

そろそろ経験だけで法律問題を乗り越えることは困難だと判断した私は、当時出入りをしていた日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会の理事長の紹介で著作権問題を得意とする若手の弁護士を紹介していただき、いわゆる顧問弁護士としての契約をすることになった。それが現在も中国ビジネスなど手広く視野に入れた展開をして成功されている黒田法律事務所の黒田先生だった。

とはいえ毎々弁護士の先生を煩わさせることがあるわけではないが、相手からの契約書の内容の確認、そして法的なトラブルが生じた際に専門家の立場から助言をいただき必要なら法的手続きをとっていただくことができるようになった。

 

詳しい点には触れないが、そのおかげで大きな問題を回避できたことも事実である。なにしろ大手企業から提示される契約書につき「当方の顧問弁護士のアドバイスなので、このように対処願えませんか?」といった物言いができることは大変効果があるものだ。

なぜそう主張するのか…という根拠を法的に説明できれば相手を説得しやすいわけだしその主張の背景に専門家の存在がきちんと見えることは大きなことだった。

 

少し後になるが、日本有数の家電メーカーから私の会社で開発したソフトウェアの米国版を販売したいという依頼があった。開発元としての我々も本来ならコンピュータの本家ともいえるアメリカ市場に自分たちが開発したオリジナルアプリケーションを売り込みたいとは考えていたものの人材やらの壁が厚く、米国で信頼できる代理店でもできない限り難しいと考えていた。そこに降ってわいたような魅力的なお話しであり、私としては是非話を進めたいと思った。

実際に契約段階に入ると国内の販売とは比較にならないほど契約内容が多義に渡り、そしてそれらの内容も複雑なことがわかった。なにしろ販売先は訴訟大国なのだ。お互いにきちんと責任の範囲を明確にしておかなければいざという時に取り返しのつかないことになる。

 

私が一番注視したのは米国における著作権の主張であった。日本国内における我々の製品がオリジナルなものであることは明確であるものの、米国市場での特許や著作権に対し精通しているわけでもなく短時間で100%確信が持てる情報を集めるのも不可能だった。したがって日本国内における第三者からのクレームに対しては対応し保証するものの米国市場における商標権や特許といったあれこれに対してはその大企業自身の責任で調べ、万一の場合も大企業自身が責任を持つという契約内容にこぎ着けた。

 

無論契約内容を詰めているときには双方共に「万一の場合」の想定であり、問題が本当に生じることなどまずあり得ないという感覚だった。しかし私のこの拘りが当時会社を倒産に追い込む事を回避したのである。

それは販売開始してまもない時期だったが、米国のとある企業から当該ソフトウェアのインターフェースの一部が特許侵害であるという通知が舞い込んだという知らせを受けた。

 

内容を確認すると原告側のシステムは映像機器を物理的に並べ、大規模な機械的操作でその順番を変えるといったもので、素人の私などからすればソフトウェア上のインターフェースと大規模な映像設備のコンソールが同じテーブルで論じられるのはおかしいと思ったが、フィーチャー特許とかで専門家によれば無視できないクレームだという。

大企業の弁護士によれば、相手は販売先が日本有数の大企業だからこそ訴訟をちらつかせたのだろうという。事実調査によれば訴訟で食っているような組織だった。

 

幸い契約書にもとづき、トラブルへの対処と責任はすべて取引先の大企業が行うことになった。したがって結果は我々の知るところではないし大企業としても公開するべき案件ではない。どのような形で解決に持ち込んだかは不明だが、もしあのとき持ち込まれた契約書を面倒だから…大企業からの提示だからとそのまま受け入れていたらその時点で我々の会社は消滅していたに違いない。

 

 

1992 年2月開催のMacworld Expo/Tokyoにて。全7人が勢揃いする。後列中央が筆者

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