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第2回Macworld Expo/Tokyoで鵜沢善久さんと出会う

1992年2月20日から第2回MacworldExpoが幕張メッセで開催された。私の会社も出展することになり、前回の反省をもとに今回はブースを一コマ増やして3小間とし、造作もデザイナーをはじめプロに依頼することにした。私はこのExpoで現在も盟友、ビジネスパートナーとして信頼申し上げている鵜沢善久さんと出会うことになる…。

 

私は自分を決して不器用な男だとは思っていないが、起業してからいくつか自分に課したことがある。どういうことかといえば会社に骨を埋めるとか、会社が人生の全てだとは思ってはいなかったし思いたくもなかった。しかし例え超マイクロ企業とはいえ社員も増えた体勢を考えると景気がよかった時代においても身震いするほど怖かった…。

 

起業時にはプログラマーのKと2人で目前の目標達成のために努力するだけだったし、もし1年半ほどかけてそのミッションを無事果たした後で仕事がなければお互いまたサラリーマンに戻れば良いと気楽に考えていた。

しかし時代が背中を押してくれ、起業してすぐに思いもよらないあれこれが重なり人も増え仕事も大幅に増えていく。そうなれば嫌でも現状の体勢をより堅調なものにしなければならないし、そうでなければ社員たちとその家族の生活に支障をきたすというプレッシャーが重くのしかかってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

言い訳がましいが、当時から周りにも明言していたことがある。それは昨日までサラリーマンだった男 (私自身のこと)が自分の意志とは言え起業し、小さな会社の社長となったにしても、それは単に法的な肩書きだけであり一夜にして私が社長の器に相応しい能力を持つことなどあり得ないということだ。つきなみだが努力するしかなかった…。

とはいえ世間には「地位が人を作る」といった言葉もある。そのポジションにつけば人はおのずと立場を理解し努力をするはめになり、次第にその地位に相応しい人物になっていくといったことらしい。

 

私もそうありたいと考えたが自分の肩にのしかかったモノの量と質の重大さを思うとあまりにも時間が足りなかった。睡眠時間は起業以前ずっと前から4時間睡眠だったからそれ以上削ることはできない相談だったし土日もゆっくり休める場合はほとんどなかった。

また北は北海道から南は広島や山口あたりまで、プレゼンテーションや講演あるいは展示を依頼されても私しか人手が割けなかった。その上に当然流通各社に営業に出かけ、新しい企画を考え、そのコンセプトを決め、概要や人員の配置、そしてそれに伴う予算の確保といったことは勿論、連続して途切れることのない新しいテクノロジーや関連知識を学ばなければ追いつかなかった。

 

スタッフの手前、なるべく定時に会社を出ることにしていたが、そのまま自宅に戻ることはまずなかった。秋葉原のMac販売店を周り、個人の立場で情報を集めたり、土日の時間のほとんども仕事のことが頭から離れず、Macの前に座ったままが続く。

自分でもそうしたことが良いことだとは思ってはいなかったが、とにかく時間が欲しかった。そうした生活を続けた弊害のひとつは学生時代からの友人たちと疎遠になってしまったことだ。私にも少なからず親友もいたし友人もいたが声がかからなくなってしまった。

 

さてExpo/Tokyoの話しに戻ろう…。

前記したとおりブースは3小間としたが、奥行き3メートル、間口が9メートルという横長の展示ブースとならざるをえなかった。その一郭に小さなステージを用意したが展示デモしたい自社開発製品数に対して人手がまったく足りなかった。しかしこればかりは仕方がないからと出展製品を絞り、交代要員もままならないもののなかなか綺麗に出来上がったブースで第2回Expoは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのExpoのさなか、スタッフの一人が「あの...お客様がカタログ配りを手伝ってくださるとおっしゃるんですが...」と怪訝な顔で私のところに飛んできた。正直ちょっと迷ったが「お願いできるのならお手伝いしていただきましょう」と指示をした。

実はその人こそ現在も友人として、そして信頼できるビジネスパートナーとしてお付き合いをいただいている(株)栄光社の代表取締役:鵜沢善久氏であった。

 

初対面の方に仕事を手伝っていただくなど普通なら言語道断かも知れないが、縁というものは実に不思議なものだ。後で調べて見ると鵜沢さんは我々の製品の多くを使ってくださっているユーザーでもあった。さらにNIFTY-Serveで私が主宰していたMacのCGフォーラムにも書き込みをされていたしマルチメディア国際会議などの展示会にも我々のブースに立ち寄ってくれたことのある方だったが、直接面と向かって話しをするきっかけはそのExpoが最初だったのである。

 

鵜沢さんにしてみれば間口が9メートルある長いブースで声を張り上げている我々がいかにも非力に思えて手伝わずにはいられなかったのかも知れない(笑)。

結局Expoが終わり、ブースの片付けと撤去にいたるまでを鵜沢さんにお手伝いいただくことになり、結局その後、準社員みたいな立場でアドバイスやコンテンツ制作、イベント時にはブースに立っていただいた。そして後に会社のホームページ制作にいたるまでをお願いする間柄となったし一緒にサンフランシスコへ行き貴重な時間を共有することも続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局仕事や人間関係の悩みは当事者に相談できるはずもなく自然に鵜沢さんは私の相談役という立場にもなってくれたし後年の一時期、会社の役員になっていただいたこともあり、WWDCにアップルジャパンから招待をうけたとき、出かけられない私に代わって出席いただいたこともあるほど私にとって得がたい友人となった。

 

現在、当時の仕事関係で接触した方たちの中でメール/SNSにしろ電話にしろ…現在も肩肘張らずにコンタクトを取っているのは鵜沢さんと札幌のプライベートショーで知り合うことになる当時北海道文教短期大学講師だった曽我聰起先生(現在:千歳科学技術大学教授)および札幌支店の女性スタッフくらいになってしまった。

そうした意味からも鵜沢さんは私にとって後年会社解散にいたり、大きなものを失った後もあれこれと精神的なバックアップは勿論、「Macテクノロジー研究所」のウェブサイト構築をやっていただくなど親身にお付き合いさせていただいている特別な人なのである…。

 

 

1992年2月開催Macworld Expo/Tokyoにおける自社ブースで記念撮影。この7人がすべてだった...。

自社のブースで新製品のデモを行う筆者

1992年9月のイベントではスタッフとして参加いただいた鵜沢善久さん

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