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MOSA発足

いつ頃だったのか、はっきりした記録や記憶がないが日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会の菅野弘達氏から来社したいというコンタクトがあった。1993年の秋口から1994年早々にかけてのことだったと思う。

どこでどのようなきっかけがあり、そうした話しが持ち上がってきたのかは不明だったがMacintoshのソフトウェア開発を支援する組織作りをしたいという相談だった。

 

聞けば日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会は1982年に会員22社の任意団体として設立され、1986年に社団法人の認可を受け、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会となり、さらに後の事になるが2006年には社団法人コンピュータソフトウェア協会に改称し現在に至る組織である。

その名の通り、そもそもがコンピュータ・ソフトウェア産業にかかわる政策提言をはじめ、調査研究そしてソフトウェアの普及啓発のための資格や認証制度、技術者の育成、ベンチャー企業支援などを行うことを目的とする組織だった。

 

当時のMacintoshというかAppleの市場は今とは比較にならない極小だったために、またMacintoshのソフトウェア開発は独自の世界であったことから同協会内でもサポートできずにいた。

私へのコンタクトは、同協会内にもMacintoshのソフトウェア開発をサポートすべき時期にきているとし、開発支援のための団体・組織作りを考えているので協力して欲しいといった内容だった。

 

僭越ながら来社された菅野さんはとても真摯な方だったしお話しの主旨は常々我々も考えていたことでもあった。しかしなかなかきっかけができずに実現に至らなかったもののもし業界の方々のご支援とご協力、時にアップルジャパンの支援が取れるならそうした組織作りをするよい時期だとも思った。

 

とはいえ一番の問題は人材だということで菅野さんと意見が一致した。ボランティア運営としての理解は勿論、MacintoshおよびAppleの業界を熟知している人材が必要なこと、そして開発支援に当たれる力量を持った人材も必要なことは明らかだった。それに新しい組織や団体を作るには強いリーダーシップと公正でバランス感覚に優れ、かつ良い意味で政治力を持ったリーダーが不可欠だった。

 

菅野さんは日本でオリジナルなMacintoshアプリケーションを開発している企業としては私の会社が一番目立ったと言われていたが、プログラマたちに協力を求めることは吝かではないものの私自身が組織のリーダーとなることは固辞した。

菅野さんは「どのような条件が整えば協力願えるか」と粘った...。

私は常々思っている事を素直にお話しした。それは前記したような意味合いから考えて理想的なリーダーはこの業界にお一人しかいないと思うこと。その方はエーアンドエー株式会社の代表取締役である新庄宗昭氏(当時)であり、もし菅野さんがこの新庄社長を説得され新庄社長が組織のトップとなることにご承知いただければ私も全面的に協力したいと申し上げた。

 

私はアマチュア時代からエーアンドエー社に立ち寄らせていただき新庄社長にお目にかかっていた。特にMacintoshのソフトウェア業界というものを考えるとき日本で最初に取り組んだ会社でもあり、その情熱とジェントルマンなお姿には常々憧れをもって接していたからだ。

その後、菅野さんらがどのように新庄社長を説得されたかといった詳細はお聞きしたこともなかったが、任意の団体としてMacintosh Software Consortium 設立準備委員会が作られることになり、後にMacintosh Software Association、略してMOSAが発足した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の記憶ではMOSAという名称を発案されたのは新庄社長だったと思うが、 "MOSA" を "猛者" にかけその心意気を示した命名だった。

ちなみに「第1回Macintosh Software Meeting '94 in TSUMAGOI (つま恋)」という泊まりがけの開発者会議を1994年11月25日(金)〜11月26日(土)の2日間、静岡県掛川市のつま恋・YAMAHA Resortで開催することになり、徹夜で開発者たちに語り明かしてもらうという催事が実現した。主催は勿論Macintosh Software Consortium 設立準備委員会だが、後援はアップルコンピュータ株式会社、協力が(社)日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会という万全の形で挑むことになった。

 

その告知文の挨拶が記録に残っているので少々長文ではあるものの当時の状況を知っていただく縁にもなると思いご紹介させていただく。

 

■ごあいさつ

本年はMacintoshが誕生して10周年という記念すべき年にあたります。マッキントッシュが日本国内でのパソコンシェア第二位に躍進するほどに普及し、マッキントッシュビジネスがようやく一人だちするまでに成長してまいりました。アップルコンピュータ社のデベロッパプログラムの登録社数も1300社を越えたと聞き及んでおります。

しかしながら我が国においては、マッキントッシュのソフトウエアを開発しようとする熱情に比して、その開発実績はまことに心許無いものがあります。絶対的な技術者の不足、そしてマッキントッシュのプログラミング作法の孤高性などが障害の大きな要因であろうかと推測されます。

若い開発者の挑戦をはねつけている間にWindows環境が市場に立ち現れています。わたくしどもマッキントッシュのソフトウエア開発を生業にしているものにとりましては、マッキントッシュソフトウエアビジネスを更に活性化させるためにも後続する若い開発者の出現が何よりも待望されるところでございます。

「Macintosh Software Meeting '94 in TSUMAGOI」は、これから参入を志しておられるデベロッパのみなさま、そしてプログラマのみなさまに、世に知られたマッキントッシュソフト開発の先達が自らの経験と開発のノウハウをあますところなく伝えたいという願いから生まれた熱血イベントです。

ソースコードの開放、InsideMacの正しい読み方、Windowsに懸けるかMac-OSに懸けるか?など開発の修羅場を潜りぬけてきた男たちにしか語れない知恵を肌で感じていただければ幸甚です。

開催地もそれに相応しい環境です。帰りの時間を気にすることなく、じっくりと交流を深めていただきたいと思います。みなさまの積極的なご参加をお待ち申し上げます。

さらに、私どもはこのイベントの心をコアに、マッキントッシュのソフトウエアを開発するもの同士が情報の交換を密にし、横の繋がりを強化して、山積する開発上の諸問題に継続的かつ積極的に取り組んで参りたいと考え、Macintosh Software Consortiumの設立を準備しております。幸い、アップルコンピュータ株式会社、社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウエア協会のご理解とご協力を得ることができました。今後、みなさまのご賛同を得て、「日本初のMacを越えたMac文化」を担える組織にして参りたいと存じます。

みなさまのご指導ご鞭撻を心よりお願い申しあげます。

 

Macintosh Software Consortium 設立準備委員会 世話人

エーアンドエー(株) 代表取締役 新庄 宗昭

(株)コーシングラフィックシステムズ 代表取締役社長 松田 純一

 

新庄社長と私が努力した最初のことはアップルジャパンの支援を得ることだった。当時のアップルジャパンから継続的かつ長期的な予算取得と共に全面的な支援を得ることがどれほど難しい仕事だったか、いまの関係者にはわかるまい。それが可能となったのはひとえにMacintoshコミュニティをビジネスとユーザー双方の視点から支えてこられた新庄宗昭氏の存在である。したがってMOSAの設立は新庄社長を会長に得たこと、そして実務的には日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会の菅野弘達氏の孤軍奮闘の賜だったといえよう。

 

その後、私はNPO法人化されるまでMOSA副会長として勤めてきたが、NPO後に数ヶ月選任されて専務理事の役職を勤めた。しかし残念ながらトップも変わりそのコンセプトや運営手法に賛同できず専務理事を辞しただけでなくMOSAも脱会した。したがって現在の同名の団体とは無縁なので念のため。

 

 

1994年11月、Macintosh Software Consortium 設立準備委員会主催の第1回ミーティングが開催された

第1回ミーティングの参加者の皆さん

オープニングで挨拶する筆者

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