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名古屋の大学教授からの電話に困惑

Macintoshの黎明期、そのハードおよびソフトは高価だった。軽自動車を買うのに匹敵するほどの散財を覚悟しなければならなかった。例えば1987年にリリースされた最初のカラー機種 Macintosh II は約150万円、ポストスクリプトのレーザープリンタも150万円、3DソフトのShadeも150万円もした(笑)。

 

従ってと言うべきか、Macintoshユーザーの中で医者と大学教授が目立った時代だったのである。無論それはご自身の懐具合も一般サラリーマンよりよい時代だったと思うし、仕事の一環として「研究室にMacintosh一式を」というケースも目立ってきた時代だったからだろう。

 

しかし1990年初頭、パソコンはまだまだ一般的なものではなかったし難しい機器だった。どういうことかといえば大学や研究室にMacintoshを導入する場合には秋葉原や日本橋で買ってくるといケースは少なく慣習として出入り業者から購入することが多かった。もしかしたら現在でもそうしたケースがあるのかも知れない。

 

そうした業者が例えば関東電子とか富士ゼロックスといった企業ならともかく、それまで一般教材を販売・供給していた会社がご時世だからとパソコンやアプリケーションを扱うことになってもその後のサポートができないことが多く、どういうわけかビジネス的には関係ない私らの所に問題が持ち込まれることも多かったのである。それに語弊があるかも知れないが、当時の大学教授とか医者といった職業の人たちの中にはプライドが高いのはともかく、実に世間知らずで横柄な輩も多く我々も商売とは言え大変な思いをしたものだ。

 

1990年の冬、名古屋にある大学の教授だと名乗る男から電話が入った。明らかに年配でせっかちそうな話しぶり、物事を順番に整然と説明できない部類の男のようで、自分の学生たちに話すような口ぶりだった。

電話の内容だが、私の会社が開発したVideoMagicianという今で言うQuickTimeムービー(当時はまだ存在しなかった)のようなデジタル動画を作るためのアプリケーションのユーザーだという。シリアルナンバーをお聞きし、間違いなく正規ユーザーだという認識で対応したが要はVideoMagicianのことではなく、それを使うために不可欠なハードウェア…MacintoshのNuBusボートに差し込む…PersonalVisionというボードが壊れたので修理をしてくれという電話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PersonalVisionは当時スワイヤ・トランスティック社が販売していたもので我々が扱うものではなかった。したがって「販売元のスワイヤ・トランスティック社にご相談してください」と答えるその声にかぶせるように「あんたのとこに送るからその会社に指示してくれ。俺のところではそちらの事情など分かるはずもない」とたたみかける。

 

数回同じやり取りをしたが電話サポートはどのようなことがあってもこちらから電話を切ってはならないし喧嘩腰になってはならない…。とはいえ正論では納得する相手ではないことは明らかだったし幸いスワイヤ・トランスティック社とは親密な関係にあったので相手の要望を受けて故障したというボードをこちらに送ってもらうことにした。

 

数日たってその荷物が届いたが、その大学教授なる男の無知さがわかって苦笑した…。なぜならご承知のようにこの種のボード類は静電気に細心の注意をはらわなければならない。したがってボードは購入時の耐電防止袋に入れ、化粧箱が残っていたらそれに納めて送って欲しいとあれほど説明したのに静電気バチバチの普通のビニールでぐるぐる巻きにしてあったのだった(笑)。

 

 

米国OrengeMicro社 PersonalVision NuBusカード

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